どすこい! 太宰部屋
おはようございます。あやなです。
本日は大相撲のお話です。
先日ですね、太宰府に向かう車の中で、大相撲には負け越すと降格になる「角番」という制度がある、という話になりました。
角番とは……
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E7%95%AA
角番 - Wikipedia
ほうほう。現在では大関によく用いられる用語であると。
そのとき、仲間が言っていたこと。
「でも、これ横綱になると勝ち続けるか、引退かしかないんですよね……」
たとえば、作家の引退って何なんだろう。
本を出さなくなったら引退なのか? 書かなくなったら引退なのか?
結論としては、
「作家の引退は、つまり死なのではないか?」
結局死ぬまで書き続ける生き物なのではないか?
作家談義はさらに加速していきます。作家を目指す者が集まる車内で盛り上がったのはこの話題。
「あなた、何部屋に入門した?」
何部屋!
作家は死した後、親方として自分の部屋を持つのか!
簡単にいうと、誰の文学に影響を受けたか? とかそういう話なんですけど、何部屋って面白すぎません?
私は断然、太宰部屋です。
読みながら、メチャクチャめんどくさいなこいつ、と思う作品はあるけれど、やっぱり太宰治が好きです。「人間失格」みたいな重めで暗めの話も好きですが、「女生徒」のような軽やかで艶のある文章の方が好きです。なんだろうな、あの色気! 私も色気出したい!
それを言うと、
「あ~、わかる~」
「そんな感じ」
と言われました。ええ、そうですか?
好きそうですか? 太宰。
そうですね、私も太宰部屋の力士として、親方のような文章を書けるようになりたいですウッス!
もし叶わないなら、最悪、太宰部屋のちゃんこ鍋屋を作ります。入水ちゃんこ! ……なんて、不吉ですか?
そんなこんなで、正念場です。
ハァ……胃が痛いです……。
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本日の起床時刻
7:17
朝ごはん
ネオレーズンバターロール+コーヒー
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苦しさを愛せよ
おはようございます。あやなです。
超特急で、とりあえず、更新。
ずっと朝起きれてなくてもうだめだぁと思いながら、しかし弱音を吐くのもお門違いなので(だって自分で決めたルールなんだもんよ)うだうだしてました。
できないことよりもできることを考えたら、それでいいのかな。なにかを始めようとか成し遂げようと思う必要はないって誰かが言ってました。そうやってハードルを上げるからがんじからめになって何もできなくなっちゃうんだって。
そういうものなのかもしれません。
モーニン! どころか、イブニン! どころか、グンナイ! なんですけど、やっぱり書くのは大好きなんですよね。
先日物書き仲間と出掛ける機会がありまして、いろんなことを話しました。そのときのことはまた改めて書きたいのですが、一つだけ。
物語を作るって楽しいなと思いました。
一つの素材をぶわーっと広げていく感じ。
確かに料理に似ているかもしれません。ただのじゃがいもがカレーになったり、ポテトサラダになったりするように、素材が形を変えていく。その行程の楽しさをずっと忘れていたように思います。
この楽しさをいつまでも味わっていたいし、読んでいるかたにお裾分けしたい。
そんな気持ちで書き続けられたらいいな、と思います。
思いっきりカルテットに泣かされて戸惑ってる
おはようございます。あやなです。
本日2本目の記事、ということで、21日があと12分で終わろうとしている中、記事を書いています。こういうチキチキタイムレースみたいなの、大好きなんですけど、重圧に激弱い胃を何とかしたいとは思っています。あ、あと10分になった。
先ほどまでなんと緊張感のないことにドラマ「カルテット」を見ておりました。いやぁ、怒涛の展開でですね、ラスト5分で完全に戸惑っています。最近の超展開についていけてない視聴者がここに! てかここからどう展開するんだ、って頭を悩ませたまま1週間を過ごすことになりそうで大変です。あー、頭抱える。
しかし今回は、終始シリアスでしたね。
巻夫妻のモノローグで語られる、失踪の顛末。私は女だからか、真紀さんに感情移入してしまって、途中から号泣していました。夫さんの気持ちもわかるんですけどね……でもー! ともだもだ。
「家族になりたかった」妻と「恋人でいたかった」夫。
結婚し、互いの欲しかったものが逆さになるという言葉に、ぐうと喉を鳴らしてしまいました。カルテットがここまで「夫婦」というテーマを扱うドラマだと初めは予想していなかったので、毎週手を変え品を変え出てくる夫婦の形に胸が締め付けられます。
形を変えてしまうものって怖い。
いつまでも同じままでいてほしいと願うのに、いつの間にかすれ違っている。
真紀さんがドラマの中で男女でもなんでもなくただの人間として付き合えたら、こんなことにはならなかったのかな、みたいなことを言うのですが、それがもうね。
人間は変わる生き物だから尊いと思います。
その一方で、その可変性を怖いと思います。
心変わりは当たり前で、一度味わった痛みすら忘れてしまう生き物だから、私は悲しい。真紀さんが「離婚」というワードを口にしたのは、夫の失踪から1年経ってカルテットのメンバーと音楽を再開したからでもあると思うのです。吹っ切れる準備ができたような、清々しい表情でした。
……なんだけどね。
あのラストはどういうことなんですかね?
あーあー、来週まで待てないよう。ドラえもーん、毎週火曜日に飛べるタイムマシン出してよー最終回まで続けて見たいよー!
カルテットの公式本も予約済みです。
最終回が大団円だったら、自宅でスタンディングオベーションします。
それでは、また数時間後。
皆さん、おやすみなさいませ!(*'ω'*)
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本日の起床時刻
7:13
朝ごはん
コンビニでメロンパン買って食べた
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このコピーにピンと来たら「クズの本懐」を読もうじゃないか
おはようございます。あやなです。
実は昨日をもってブログ開設4ヶ月でした!
「あ、今日ブログ開設して4ヶ月ですわ」
「お、おめでとうございます」
朝からそんな会話を交わしたにも関わらず、昨日は埼玉からいらしたライティング仲間と一日歩き回り食べまくり、途中でプロのフクロウ(フクロウカフェ勤務)のオフを尾行したり、美味な水炊きと胡麻サバを食べたり、お酒を飲み比べたりと、遊び回っておりましたので、もうすっかり記事を書くという意識が頭から抜け落ちておりました!
申し訳ない!
今から2本書くので勘弁してつかぁさい!
さて、「クズの本懐」という漫画が巷で流行っているようですね。
こ、こんなに可愛い女の子が、クズなの……?!
すごく可愛い繊細なタッチの女の子が表紙で、随分前に興味を惹かれたものの、結局今まで手をつけてきませんでした。
「自称:ドロドロ好き」ながら、この作品は少年少女の恋愛模様ということで、年若い男女にはそこまでのドロドロを求めたくない……というのが本音。(とか言いつつ、好きな漫画家はヤマシタトモコなんですよねぇ……)
しかし、最近になってこの作品がとても気になっているのです。
それはポスターに書いてあるこのコピーを目にしたからでした。
「恋ってそんなに美しいものですか?」
それ!!
私もそれが言いたかった!!
恋が楽しいという人の気持ちがわかりませんでした。美しいと尊ぶ人の気持ちも理解できませんでした。私にとって美しい恋愛とはファンタジーであって、異世界のものだと思っていました。どうしてそう思うようになってしまったのかはわかりません。
ただただ悲痛な恋愛だけがリアルだとも思わないのですが、少しのことで浮かれる自分も逆に嫉妬に苦しむ自分も醜いし、できれば平坦な感情のまま穏やかに生きたいなと思ってしまいます。
それに、恋愛ってハッピーエンドはどこなんだろうと思ってしまうんですよね。
結局、両思いになってしまえば行き着くところは別れるか、死ぬまで添い遂げるかのどちらかです。始まりがあるということは、まさに、終わりがあるということではないですか。
続いていくつらさと、終着を迎えるつらさ、一体どちらが大きいのだろうと思いを巡らせます。
そこで「クズの本懐」のコピーを見てしまったわけです。
美しくない恋愛(絵はこんなにも美しいのに)の終着駅は、一体どこにあるのでしょうか。雪の吹きすさぶ北国か、日差しに焼け焦げそうな西の国か。
クズの本懐、8巻で完結のご様子。
……気になってきたので、本屋に寄って帰ります。
それでは、皆さん、また後で!
(本日はもう1本書きますよ~っと!)
あれ? これって「非」常識ですか?
おはようございます。あやなです。
今日、お昼に仲良くしていただいているゼミの方と太宰府に行ってきました。とってもあったかくて、清々しいほどに晴れていて、絶好の太宰府日和でした(*´-`)
それはもう、徹頭徹尾抱腹絶倒の旅で(太宰府なのに?!笑)既に話していた内容をほぼ忘れてしまっているのですが、「そんなこと考えるのあやなさんくらいだよー」と言われることがあったので、ちょっと気になって、共有させていただきます。
中学1年生になったとき、一生懸命のぼってきた梯子を下ろされた気になりませんでした?
ほら小学6年生で最高学年になって、一気に下級生に突き落とされる、あの感じ。頂上までたどり着いた! と思ったら、また一番下からスタート! みたいな。
しかも小学6年生から中学1年生って結構な落差だと思うのです。中学3年生と高校1年生の差とは大違いです。それまでは学校のお兄さんお姉さんでやってきたのに、いきなり先輩には敬語を遣えだの、やれスカート丈で先輩に目を付けられたりだの……。敬語という文化が生まれるのも中学の部活からでしたし、もう、下積み感がべらぼうで。
山をのぼっているときに、頂上かと思ったらまだ上があった、というシチュエーションで、「小学6年生から中学1年生になった気分ですよー」と言ったら「それ、どういうこと!?」と言われたので、もしかして私以外そんなことを思って生活していないのではと不安になりました。
なんというか、人がどうこうというよりは、下っ端でいる自分があまり好きではないのかもしれません。
そこでそういう発想になるんだ、とか、ここでそう考えるんだ、とか、自分としては当たり前のように思っていることなんですけど、意外と世間の常識ではないのが面白いですね。それを面白おかしく書ければこんな変な人がいるものだと笑っていただけるのかもしれませんが、そこまで達してない自分が歯がゆい……。
変な自分を笑っていただけるところまで、ちゃんと言語化させられるように、ちょっと、がんばろうと思います。そういう自分を面白く書けるかどうかって、本人が面白いか否かじゃなくて言葉を尽くすことに誠実かどうかだと思うのです。
ということで、太宰府は楽しかったです!
ずっと行きそびれていた太宰府!
梅ヶ枝餅!
あ~、おいしかった(*´-`)
私は梅の花よりお餅の現金な人間かも知れませんです……。
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本日の起床時刻
8:04
昼ごはん
牧のうどん(ごぼ天)
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「努力は必ず報われる」に異議を唱える時が来た
おはようございます。あやなです。
指が腫れて、ついに曲がらなくなってしまったので、急遽、病院に行きました。どうやら逆剥けからバイ菌が入ったようです。左手の人差し指が紫色に変色して、自分の指ながら、おぉ……なんだこのグロい物体は……と思いつつ。心底左手でよかったです、ほんとに!
その後化膿した部分が真っ白になってきまして、この膿が全部出たら治るのかなぁ。
とはいえ、最近携帯をなくすわ怪我するわで一時期流行っていた大殺界ってやつではと頭を悩ませております。……大半自分が悪いのですが……。まぁ、デスクワークなのでPCが満足に打てないとわりかし困ります!
こうして困っていることをネタにすると、痛いのに頑張っていて偉いねと言われたいのかよと自分でも思ってしまうんですけど、そういうことではなく。
毎日更新を掲げて書く量を増やすことすら、「努力」といってしまっていいのか、と私は思うわけです。ライティングの勉強の一貫としてブログを更新しているけれども、それってほんとに方向性として正しいの? みたいな。
薄い内容を毎日書いて自己満足してるだけじゃないのかとか……。
それならいっそ週一更新にしてちゃんと濃いネタを書いた方がいいんじゃないかとか……。
自分のやっていることが正しいと思えるほど自信がなくて、だからこそこんな記事を更新ながらぐらぐらと揺らいでいます。
現に、今すごい作品を書かれている方ってブログをやっているわけでなくても、それでも面白いものを量産しているわけですよ。全然追い付けないことに焦ったりもしているし、そんなに焦らなくても自分のペースってあるからね、と言われたところで、やっぱり先行者利益ってあるじゃないですか。どうやったらそこに追い付けるんだ、と思うと、私なんかは量を増やしてがむしゃらにやることしか思い浮かばないわけです。
「努力は必ず報われるのか論争」は古今東西、相当根深いものがあります。とにかくがむしゃらに練習量をこなした方がいいのかと、結局大事なのは練習の量ではなく質ではないのかとか。正しい方向に努力した人は報われるとか。
努力迷子常習犯の私は、そんな言葉では余計迷子になるばかりです。
「努力は必ず報われるものではないけれど、報われた人は必ず努力している」みたいな、そんなの強者の論理ですから。
努力は必ず報われるのか?
とにかくがむしゃらにやることが、正解なのか?
そこに出した私なりの結論。
がむしゃらにやるしかないんじゃないかなぁ……。
ただ、がむしゃらにやった上で、その濃度を高くしていくことが大事なのかな、と思います。やっつけ仕事になって薄まっていくなら、それは努力とはいえない。練習の数を減らして一回一回を大切にした方がいいのかもしれないけれど、結局場数をこなしてこなしてこなしまくった人の方が断然強い。
叩き上げの刑事さんだって、最初は青臭いガキンチョなわけですから。現場の血なまぐささに触れてこそ、感覚を研ぎ澄まして、刑事のカンなんてものを手に入れていくわけでしょう。
いかに濃度を上げていくかということ。
それに尽きるのかなと思います。
最近、本当に更新することに必死になってしまって面白い記事をあげられていないな、と反省しています。更新を目標にするのでなく、濃度を上げることに注力したいです。
たとえ指が変色しても。
頭が空っぽになって干からびても。
全っ然ダメで、もうだめだって思っても。
書くことをやめるつもりはありません。
決めたんです。絶対に諦めないって。
努力は必ず報われるとは思いません。
努力だと思ってやっていることが、本当に努力だといえるのか、自分では正しく判断できないから。他人に評価を得たところで、あまり意味もないのかもしれません。成功に結び付いた努力こそが努力だと見なされてしまうのかもしれません。
自分で「これは違うのか?」 「これで本当にいいのか?」と自問自答することに意味があるのかもしれない。正しい努力の形なんて誰にもわからないけれど、その試行錯誤は必ず自分のためになると私は信じています。
ということで!
私の長い旅路は続きます。もうほんと、胃の痛い毎日です! 超つらいです! でも楽しいです!
自分なりの「面白さ」を見つけられるように、もうちょっと頑張ってみます。
大人のためのひみつ道具No.1は「四次元ポケット」だ
おはようございます。あやなです。
本日は、ドラえもんのひみつ道具に憧れたかつてのキッズたちに質問したいことがあります!
子供の頃、欲しかったひみつ道具は何ですか?
どこでもドアかな?
タケコプターかな?
ホンヤクコンニャクかな?
私はとにかく強欲な子供だったので、サンタえんとつが欲しかったです! これさえあれば何でも手に入る! やったね! 空を飛ぶことにもどこかに出掛けることにも動物としゃべることにも全く興味のない、現実主義の子供でした。
それでは、もうひとつ質問をします。
大人になった今、欲しいひみつ道具は何ですか?
これね、迷います。
どこでもドアがあったら交通費を気にせず好きな場所に行き放題だし、タケコプターがあったら通勤も楽になりそうだし、ホンヤクコンニャクがあったら動物たちが人間をどう見ているのかインタビューしてみたいなと思います。
しかし、それ以上に欲しいもの。
サンタえんとつじゃあ、ありません。大人になった今、欲しいものは自分で手に入れたいもの。そのために働いているわけですし。
じゃあ何なのか。
四次元ポケットです。
あ、中身は勿論入っていないですよ。四次元ポケットそのものが欲しいのです!
四次元ポケットこそ、大人にならなければ価値がわからないひみつ道具ナンバーワンだと思います。現に、子供の頃、周りで「四次元ポケット欲しいわ~」なんて言う子はいませんでした。ドラえもんが持っている中身入りのポケットなら話は別ですが、人気のない道具だったと記憶しています。
四次元ポケットってすごくないですか?
何でもかんでもたくさん入るんですよ?
しかも、取り出したいものを思い浮かべるだけで簡単に取り出せる。
つまり……片付け不要!!!
本も服もいっぱいいっぱいで、とにかく物が多い私の部屋。それが全部スッキリしたらどれだけ部屋を広く使えるでしょう。どこに何をしまったかわからなくなって焦ることもない。
一人暮らしをしていると、スペースを作るのにもお金が必要だと感じます。広いマンションを借りるとそれだけで高くつきますしね。
与えられたスペースだけで生きていた子供時代では感じられなかった、四次元ポケットの偉大さですよ。場所を気にせず本を買えるって素晴らしくないですか???
(※電子書籍導入も考えたんですけど、やっぱり紙の本が好きなんだよ~~~)
どこでもドアの開発もずっと待ってるんですけど、いざ開発されたら自動車業界・公共交通機関系に大打撃だろうな、物流業界も業界一新されるだろうな、と思ってしまう私なのでした。
家に帰ったら部屋、片付けよう。
つい1週間前、携帯を探すついでに掃除したはずなのになんでもう散らかってるんだろう……驚きです。
それでは、明日までお仕事がんばりましょうねっ(*´-`)
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本日の起床時刻
7:13
朝ごはん
蒟蒻畑りんご味
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