モーニン!

ただのOLが平日限定で9:00までに更新するブログ

【第78回】福岡歴丸10年を迎えたOLが告発する、福岡の傲慢さについて

f:id:ui_a:20170303125925j:image

おはようございます。福岡在住のただのOLこと、あやなです。

気づけば春です。

周りがみんなトレンチコートに着替えていることに驚きを隠せません!!

うっそだぁ、私まだウールのチェスターコート着てるよ!  体調崩して寝込んでる間に、明日から4月です!  そんなの聞いてないよ!!

 

さて、本日3月31日をもちまして、福岡歴丸10年を迎えます。10年前、2007年3月31日は土曜日でした。引っ越しに最適な日程だった記憶があります。

私が故郷・長崎から単身で福岡にやってきたのは、大学に進学するためです。大学まで自転車で15分。敷金礼金なしの家賃3万円。インターホンもなければオートロックもない。ベランダすらない木造アパート。隣の部屋からは、夜風に乗って熱い弾き語りが聞こえてくる。

二面ある大きめの窓から、朝日がたくさん入るところが、唯一の長所でした。

そんな6畳一間のおんぼろアパートから、私の福岡人生はスタートしました。

10年も福岡で暮らしているのかぁ、いい加減長いなぁ。

故郷でも何でもないこの地を、早くも私は最後の地にしようと決めています。勿論、最期を迎えるのはまだまだ先ですが。福岡での就職を決めたとき、心を固めました。

今はそれくらい、福岡が好きです。

でも長らく私は福岡が嫌いでした。一刻も早くこの土地から逃げたいと思っていました。大学在学中の4年間、留年してからの2年間、10年の内、計6年は嫌々福岡に住んでいたことになります。

 

なぜ福岡がそんなに嫌だったのか。

そして、なぜ定住の決意を固めるほど福岡を好きになったのか。

それは、私にとって福岡が

あまりに眩しすぎる街だったから

に他なりません。

 

九州の、とりわけ地方出身の人間にとって、「福岡」は憧れの街だと思います。街の規模も人口も、圧倒的に九州でナンバーワン。全国的に見てもトップに入る大都市です。

そんな福岡は、ナチュラルボーン王者の風格を漂わせています。

とにかく、自信に満ちた街だと思います。

先月、埼玉からライティング仲間がいらっしゃったときに、福岡の同じくライティング仲間から送ってもらったのだと、福岡のガイド本をご持参されました。

その本の、煽りがもう凄いんです。

この街以上はどこにもない。

福岡、かっけぇ……。(嘆息)

いやね、街ラブ本なんで、このくらい大きなことを謳うのは当然かもしれないんですけど、福岡市民は自分の地元に対して本気でこう思っているのではないかと思うことが多々あります。

たまに、じゃないです。多々です。

福岡について語らせると、熱い!

おすすめのご飯屋さんの話なんて止めどなく出てくるし、山笠だのどんたくだのお祭りも大好きだし、よそから来た人を手厚くもてなしてぐずぐずにしてしまうくらい、とにかく地元愛とホスピタリティに溢れた人ばかりなのです。

そのくせ、地元の悪口もバンバン出てきます。

 「天神駅から天神南駅までが遠い」と文句を言うと張っ倒されると思います。たかだか10分の、しかも地下街の移動を面倒がるな!

「バスの移動が不便」なんて言うと、激怒されると思います。天神-博多間は時刻表を見なくても来たバスに乗ればいい!

「天神のランチは1000円くらいするし、高い」1000円程度で高いとは何事だ!

まったく、贅沢な悩みです。

しかしそんな悩みを抱えることができるのも、王者が王者たるゆえんなのかもしれません。王様は自分が王であることを疑ったりしません。

実際、こんなやりとりもありました。

「シメサバ?  どうしてサバをシメる必要があるの?」

「福岡人はマリーアントワネットか?」

先日も飲みの席で東京から来た方に突っ込まれました。生のサバを食べられる贅沢を贅沢だと思っていません。それが当たり前だからです。

「当たり前」のハードルが高い自覚すらない、だからこそ福岡は王者の風格を漂わせることができます。

鷹揚という言葉がこれほど似合う土地を、住人たちを、私は知りません。

 

逆に私が長らく福岡を好きになれなかったのも、そのせいでした。

福岡の鷹揚さが、私の目には傲慢に映って見えました。

福岡という土地が輝けば輝くほど、人が優しければ優しいほど、自分がどんどん惨めになりました。夢を抱いて上京して心折られる大学生の物語なんて腐るほどありますが、そういった映画や本で語られる東京よりも福岡はひどく優しく温かく、それだけに余程寂しくなりました。いっそのこと突き放してほしいのに、決して見放しはしないのです。

「いいくさ、いいくさ!」

良い草でも悪い草でもありません。方言で、「いいよ、いいよ」という意味です。

「やばい!  仕事やり残してきちゃった!」

「いいくさ、いいくさ~!」

「家の窓開けっぱなしだったかも!」

「いいくさ、いいくさ~!」

こんなときに遣います。「そんな細かいこと気にしないでいいよ」「そのくらいいいさ」みたいな用法です。この「いいくさ」という方言に、福岡らしさが表れている気がします。

大学卒業を前に、東京の会社に就職するか、福岡に留まるかの二択を迫られました。私が選んだのは、東京ではなく福岡。毎週のように東京に通って就活していたくせに、あれだけ福岡を離れたがっていたくせに、です。嫌いだった筈の福岡に留まることを決めたとき、私はようやくこの街を好きだと気づきました。

だって、「これ以上の街はどこにもない」から。

福岡で食べるご飯がおいしかった。

博多弁の響きが温かかった。

家賃も安い。海も山も近い。自転車で走ると気持ちいい。帰ろうと思えば故郷にも帰れるし、空港も都市部から10分ほどで着くからどこにだって飛べる。

これ以上の街が他にあるなら、教えてほしいくらいです。

そして何より、私は、福岡から逃げたくなかった。傲慢だと思っていた福岡。それは私の卑屈さがそう見せていただけの幻影だと気づいたから、自分を変えたいと思うようになりました。

惨めな自分を福岡のせいにしたりしない。

この王者たる街にふさわしい人間になりたいと思いました。

 

6年の福岡嫌いを翻してここに居着いてしまった私は今、福岡という王様の足元に屈服する臣下のような気持ちで市民をやっています。

住民票を福岡市に置いていても、住民税を払っていても、依然として福岡は私にとって王者の街です。福岡市民を名乗ると、なんだか無性にむずむずします。10年住んでも、いまだに私は長崎の片田舎からやってきた余所者です。

でも、でも、いつか。

胸を張って福岡の人だと名乗りたい。地元だって勿論大好きなのだけど、ごめんなさい、私は福岡の人間になりたい。

鷹揚として、時に傲慢で、素敵な福岡。

最期のときを迎えるときまでに、笑顔で言えるようになりますように。

「いいくさ!」

って。


f:id:ui_a:20170331124227j:image

あぁ、今日も飯テロが捗るなぁ!

 

*************************************

本日の起床時刻

6:37

朝ごはん

メロンパン

*************************************

読書日記「命売ります」

今日は三島由紀夫の「命売ります」を読みました。あ~~面白かった!!

三島由紀夫は「仮面の告白」と「潮騒」くらいしか読んだことがなかったので、一気に引き込まれました。ジェットコースターばりの展開で、ラストの読後感も好き……。

取り急ぎ、感想でした。

ボールドの香りと青い空

おはようございます。あやなです。

そして……

御無沙汰しておりました!!!!!

ずっと更新してなくて「大丈夫?」とメッセージをいただくこともありました。いやはや……ご心配をおかけして(と言うのもかなり自意識過剰じゃないかって感じなのですが)すみません。

先週何をしていたかと言うと、ひたすら寝てました。

もう、あまりに体調が悪くてですね……。病院と買い出しに出る以外は、常に船酔い中みたいな気分で家に閉じ籠っていたので、ただただ鬱々としてました。

鬱々としているときって人間、安静にしていなさいと言われても頭を働かせようとしてしまう生き物なんだと思うんですけどね、とにかく余計なことばかり考えます。

「このまま治らなかったら……」

「仕事ができなくなったら……」

「何も書けなくなったら……」

こういうときにネガティブな仮定形を延々と考えてしまう性格でなければ、そもそもメニエールでぶっ倒れることもないのかもしれません。

何もできない私に価値があるのか、なんて本気で考えたりもして。

考えても考えても、答えは出ません。そりゃそうです。でも考えちゃうんですよね。

そのうち、あやなは考えるのをやめました。某究極生物*1ばりに。

ひたすら寝ることにしました。

起きていると本当に馬鹿なことばかり考えてしまうので、こういうときはひたすら寝るんだよ!  安静にしろって言われてるんだから、寝るんだよ!!

もうこれ以上は眠れないってくらい寝たら、動けるときに部屋を掃除して回りました。水回りをぴかぴかに磨いて、フローリングを雑巾がけして、トイレを綺麗にして。晴れた日はバリバリ洗濯をしました。

環境が整っていくにつれ、体調も整ってきた気がします。いやぁ、環境って本当に大事だなぁ。

 

洗濯物から漂う花の香りを嗅いでいると、少しずつ元気が出てきました。

私の使っている洗剤は「ボールド」です。

「柔軟剤、何入れたんだ?」

「柔軟剤!?  使ってないっすよ!?」

というCMでお馴染みのボールド。2年ほど前、近所のドラッグストアで安売りされていたので、試しに使ってみたらとっても好きな匂いでした。それからずっとボールドです。

香りが強いので、好みは分かれるかもしれません。甘く、さわやかな花の香りです。私はこの匂いがとても好きなので、洗い立ての服にボールドの香りを嗅ぐと、一日いい気分でいられます。仕事中も、制服からふわりと花の香りが漂うだけで、一瞬思考が灰色のオフィスを離れて自由になれる気がします。

降り注ぐ日差しの温かさ。からだを押す風の感触。そういった清々しいものに包まれて、心がふわりと軽くなる。

ボールドの香りは、どこにいても私を青空の下に解き放ってくれるのです。

 

ボールド[bold]を和訳すると、「大胆な、勇敢な、果敢な」になるのですが、他の意味に「図太い」「ふてぶてしい」「奔放な」があります。 

高校時代、英語のO先生がこの単語の本質を教えてくれました。「you are bold」と言うと、「君って厚かましいね!」になる、と。

いいじゃん、ボールド。

[bold]が持つ、「図太くてふてぶてしくて奔放な」大胆さを、いつどんなときでも身に纏っていたい。落ち込んでめそめそして部屋に閉じ籠っているより、[bold]の方が私らしいじゃないか。

「このまま治らなかったら……」

「仕事ができなくなったら……」

「何も書けなくなったら……」

いくら考えたって答えの出ない問いを、ボールドは

「ならん、ならん♪」

と笑い飛ばしてくれるでしょう。

アイツなら。だって、アイツ、厚かましいんだもん。

「治るし、仕事もできるし、これからもずっと書けるから!  全部うまくいくからそんなネガティブな仮定は考えるだけ無駄!!」

図々しくて、ふてぶてしくて、奔放な[bold]によって青空の下に解き放たれて、私は大きく息を吸い込みながら、そうかもしれない、と思うのでした。

つらいことなんか今まで叩き売りできるほどあったけど、何ともならないことは一つもなかったわけで。

今と未来は繋がっていない。今がだめだからって未来も全部だめになるわけじゃない。

冬は終わった。

雨は上がった。

青い空の下で大口開けて笑えばいい。もしくは、声を上げて泣いたっていい。閉じ籠って一人で「どうしよう」「どうしよう」と考え込んでしまうから、余計に悪化するのです。

浮き沈みの激しい人間です。何かあるたびに落ち込んで、抱え込まずにはいられない性格です。メニエールとはこの先もうまく付き合っていかなければならないし、前途は多難です。

まぁ、でも[bold]に行きましょう。

大胆に、勇敢に、果敢に。

図太く、ふてぶてしく、奔放に。

 

洗濯機を回そう。ボールドの香りに包まれて、晴れた空の下に洗濯物を干そう。

私は、元気です。

 

********************

いつも以上に個人的な、とりとめのない記事になってしまいました。ご覧くださった方、すみません。明日からまたネタを練っていきたいと思います。

そんなこんなで、昨年の10月20日から始めた当ブログ、開設より5ヶ月経ちました~!

書き始めた頃は正直3月まで続くと思っていなかったので自分でも驚きです。笑

この調子で細く長く、たまに太く、続けていこうと思います。よろしくお願いいたします。

 

20170320.あやな

*1:カーズ

弱さを抱えて走ること

おはようございます。あやなです。

先週からずっと体調が悪くて、気が滅入っていました。メニエールとお付き合いを始めて10年以上経ちますが、ふとした瞬間に暴れだすので大変です。

環境が変わったり、何か悩みを抱えていたり、突然忙しくなったり、その逆だったり。

ふらふらになってかかりつけの耳鼻科に行くたびに、先生に

「今度は何をがんばりすぎたとね?」

と言われるので、へへへ、と笑って返します。

一番酷かったのは、5年前祖母が他界したとき。あれも春でした。4月のはじめ頃。実家に帰り、葬儀やなんやらで忙しなく働いたあと、パタリと動けなくなってしまいました。長男の長女で、年も一番若かったので私が率先して働かなければならないと思いました。家のことをすべて済ませて福岡に戻り、一人暮らしの部屋に帰ってきて初めて、猛烈に祖母を失った悲しみが襲ってきました。そのあとはもうだめでした。

あのときはあまりに外に出られなくて、会社を辞めるかと本気で悩みました。

「ストレスがたまる前に休まんといけんよ」

「砂時計みたいに、ストレスがたまっていく様子が目に見えればいいんですけどね」

「なんか疲れてる、とか、わかるやろ?」

「……私はただ、必死に生きてるだけなんですけど」

そんなに必死にならなくていいんだ、と人は言います。そうなのかもしれません。でも、必死でいる方が楽なんです。あと、とても楽しい気持ちでいられるのです。全速力で駆け抜けている間は。

 

土日は少し良くなったので友人に外に連れ出され、たくさん笑わせてもらいました。おかげさまでだいぶ回復してきた気がします。

「笑ってりゃ大概何とかなる」

「せやな」

「あとはビールに焼き鳥があればいい」

「せやせや」

友人よ、ありがとう。

ビール美味しかったね。

かかりつけの先生や、友人、職場の方。私を大事にしてくれるすべての方。本当に優しい方に囲まれて、人に恵まれた人生です。自分を大事にする方法なんて知らないけれど、そういう優しい方々に心配をかけないように生きたいな、とは思います。

 

ふと立ち止まったり、我に返ったり、一人になった瞬間に自分の精神的な弱さを感じます。ちょうど、誰かがいるときには全く酔わないのだけれど、一人になった瞬間に陽気になって千鳥足で歌いながら帰る感覚に似て。

がんばりすぎなのではない、むしろ私に関しては、まだまだがんばりが足りないのだ。歩みを止めないように走り続けなければならないな、と思います。目標に対してアホになった方がいい。小賢しくあれこれ考えるから歩みを止めてしまうのです。

走り続けるしかない。

パタリと倒れてしまわないように。誰にも迷惑をかけないように。

 

たぶん人は私を見て、愚かだと思うでしょう。でもやっぱり、私はこういう生き方しかできないなぁと感じます。

走り続ける持久力をください。

強靭な心臓をください。

あとは頭を空っぽにして、一歩を踏み出すとしましょう。

【第77回】春について

おはようございます。あやなです。

すみません!  1日空けてしまいました。

毎年春はめまいがひどくて、寝込んでしまいます。3月・4月は年度末だしで仕事も忙しいのに情けないことです。薬もちゃんと飲んだし、しっかり寝て、土日は近所の公園でお日様の光に当たって気持ちを整えたいと思います。

学生の頃はまだ、春といえば出会いと別れの季節で、学年が新たになる変化もありましたが、社会人になってからはほとんどそういうこともありません。それなのになぜいまだに春に弱いのか、自分でもよくわかりません。

なぜだかとても、切ない気持ちを味わいます。

それは、私のナンバーワン桜ソングがこの曲だからなのかもしれません。

桜色舞うころ

桜色舞うころ

  • 中島 美嘉
  • J-Pop
  • ¥250

中島美嘉「桜色舞うころ」

ひとところにはとどまれないと

そっとおしえながら

サビのこの部分がとても好きです。

そして、とても春らしいと思います。

桜の花自体はそれほど好きではありません。でも桜吹雪は好き。桜は咲いているときよりも散っているときの方が美しいと思います。

時は流れる。花は散る。ひとは変わる。

私にとって春はそんな季節であり続けるのでしょう。これから先も。永遠に。

 

まぶしくて、嫌な季節です。

 

【第76回】小泉今日子のやわらかな寂しさ

おはようございます。あやなです。

きっかけは一冊の新書でした。

普段、新書の棚はスルーしてしまうのに、その日だけは違いました。棚を埋め尽くす背表紙に視線を滑らせている最中、ふと目に留まった一冊に手を伸ばしたのは、偶然でしょうか。いえ、必然なのだと思います。「小泉今日子」は私の人生に影響を与え続ける二人の共通項でした。

一人は母です。私がアイドルオタクになったのは母の遺伝じゃないかと思えるほど、彼女はアイドル好きでした。中でもキョンキョンの曲は、よくカラオケで聞かされたものです。

もう一人は、友人。時に嫉妬に狂いそうになりながら、10年以上にわたり憧れ続けてきた、不思議な友人です。そんな彼女は、以前から「憧れの人は小泉今日子さん」と公言していました。

だから、ちょっと魔が差したのです。

新書は面白かったです!  「小泉今日子」を題材に、その時代で常に旬で居続ける女性の生き方を提示していました。

ただ、私が惹かれたのは新書の論旨ではなく、小泉今日子という一人の人間でした。本書の中ではたびたび、彼女のインタビューやエッセイが引用されます。

それを読んでいくうちに、他人から見た小泉今日子ではなく、生の小泉今日子の言葉に触れたいな、と思うようになりました。

 

そこで購入したのが以下の2冊。

黄色いマンション 黒い猫

黄色いマンション 黒い猫 (Switch library)

黄色いマンション 黒い猫 (Switch library)

 

小泉今日子書評集

小泉今日子書評集

小泉今日子書評集

 

あぁ、私の書きたい文章は、これなんだ、と思いました。

読みやすく、美しい文章。

それらを用いて彼女が語るのは「喪失」の記憶でした。気づいたらずっとこの2冊ばかりを読んでいます。

あたたかいのに、なぜかひやりとしている。

幼い頃、家のすぐ前を流れていた小川のような温度で、彼女の文章は流れ込んでくる。

読後、宝物のように抱き締めたくなった文章なんか今までにいくつも出会ってきて、それこそ星の数ほどあって、だからこそ私は誰かの宝物になるような文章を書きたくて今もがいているわけだけど、こんなにすぅっと入ってきたのは本当に久し振りで気が滅入るくらいです。

泣いても泣いてもきりがなくて。

特に、「小泉今日子書評集」の中で語られる「白骨花図鑑」についての記事が、本当にもうぞくぞくするほど美しくて、悲しくて怖くて、この短い記事を何度も何度も読み返してしまいます。

 

肩に力が入っていないからこその読みやすさ。肩に力が入っていないのに、この美しさ。彼女は失ったものを思い出しはしないのかもしれない、と思いました。忘れていないから、こんなに今もそばにあるものとして書けるのかもしれない、と感じました。

私の妄想かもしれないけれど。

小泉今日子さんの文章に漂うやわらかな寂しさを受け止めて、今日も眠りにつこうと思います。

【第75回】書いていた記事が全部吹っ飛ぶほどの本を読んだ

おはようございます。あやなです。

もうすぐ日付をまたぎそうなのに、まだ真っ白です。本当は書いていた記事があったのに、あまりに衝撃が強くて、全部消してしまいました。

どうしてこの文章にがつんと頭を殴られたのかわかりません。

わからないから、知りたいと思いました。

このひとについて。

小泉今日子さん。

この女性は一体、何なんだ?