【第15回】大学の構内にはいつもモップみたいな犬が歩いていた
おはようございます。あやなです。
秋を感じる季節になると、大学のことを思い出します。授業には真面目に出ていなかったけれど、大学の校舎は好きだったので授業をさぼっては理系キャンパス内のベンチに座ってぼーっとしていました。
私の母校はとても秋が似合う学校でした。銀杏の樹といい、レトロといえば聞こえはいい古めかしいだけの校舎といい、抜けるような秋晴れの空がよく似合っていました。
大学の構内には、いつもモップみたいな犬が歩いていました。セサミストリートの世界から飛び出してきたような、コミカルな容姿の犬です。ジャージを着た細身のおじいちゃんがそばについて散歩をさせていました。私は彼か彼女かもわからない、あの飼い犬のことを心の中でモップと呼んでいました。
特別美人ではなく、おそらく手入れが行き届いているのでもないのでしょう。くすんだ茶色の毛は、本来の色ではないように見えました。それなのに芸術的なバランスであのモフモフが保たれている。モップの奇跡のモフモフには黄色と灰色の混じる葉が何枚かくっついていました。
ベンチに座ってモップをじっと見ていると、「いい服着てるでしょ」とばかりにこちらを見つめ返されました。いや、長毛に覆われているので正確に視線を合わせることができたかはわかりませんが。
私の家も、昔、犬を飼っていました。からだが大きく、凶暴なダルメシアンでした。名前はビクタといいます。ビクターのCMに出てくる犬に似ていたかららしいです。私はそのCMを覚えていません。なにしろ凶暴な犬だったので、幼稚園に上がる前の私には接見禁止令が敷かれていました。散歩に連れていくと他の散歩中の犬に襲いかかるくらいには好戦的だったらしいのです。ビクタは家族には従順でした。小さい私のこともちゃんと家族だと理解していたようなのです。
けれどある日、ビクタが私にぐちゃぐちゃになった鳩の死骸を寄越してきたとき、ちょっとだけ犬に対する恐怖心が芽生えた気がします。
モップはビクタと違って、大変おとなしそうな犬でした。一度も私に向かって吠えることはありませんでした。
たとえばうちの大学がおしゃれなカフェテリアのある女子大だったら、モップはモップとして歩いていなかったと思うのです。名前ある、気品ある犬種として堂々と歩いていたに違いありません。
けれど、どう見てもあの犬はくすんだ茶色の毛を持つモップでした。 長毛を引きずって歩く様は、掃除をしているようでした。
動物は勿論、人語を解さないわけですが、どうしてあんなに表情豊かなんでしょうね。
ビクタもモップも、語りかけるのがうまかった。
役者は「目」だけで演技するといいます。
映画「そこのみにて光輝く」の綾野剛を観ていたら、なんとなくモップのことを思い出しました。
綾野剛はいつも眩しそうな顔をしているな、と思います。たぶん私がそう感じるのは、綾野剛の「目」がそう見えるからなのだと思います。眩しさを嬉しく思っているのか、鬱陶しく思っているのか、それはその時々によるのですが。
語りたそうな「目」をしているなと思います。役を越えて語ることができない、一種の制限のかかった「役者」という仕事は、ある意味自由に話せない犬のようなものなのかもしれない、と思います。
モップは元気だろうか。
おしゃれなカフェテリアがなくてごめん。モップとか呼んじゃってごめん。
ほんとは散歩中の君に駆け寄って、語りかけたかった。元気に吠えてる声も聞いてみたかったよ。
映画の感想はまた後日。
今日、寝坊しました。どうしよう、起きれなくなってきた!
皆さん、行ってらっしゃいませ(*´-`)
私も急いで行ってきます!
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本日の起床時刻
7:15
朝ごはん
笹食ってる場合じゃねえ! の画像
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