なぜ人は歩みを止めたくなるのか -「一坪の奇跡」を読んで小賢しく生きるのをやめようと思った話-
おはようございます。あやなです。
思えば、昨日の夜からおかしかったのです。ひどく眠くて眠くて、ぴんと張っていた糸が切れたように感じていました。雨の中、親切な方に車で送っていただきながら、口数だけは多かった。そうしないと、喋っていないと、意識が落ちてしまいそうでした。
12月、全力疾走しても全然足りない至らない1ヶ月が、そろそろ終わろうとしています。あと数日もすれば勝手に2017年が始まります。
2016年、なんでこんなにわーっと走ってきたのか途中から全く記憶がありません。そもそも走ろうと思ってはじめたことではなかったように思います。自分でこうなりたいです、こんなことをやりたいです、と不用心に口に出しているうちにスタートラインに立っていました。
中学1年生のとき、運動会で200メートル走に出たんですけど、みんな100メートルを走るかのごとく全力疾走するんですよね。私は200メートルなら100メートルよりスタートはゆっくりなんだろう、と甘く見てはじめからガンと差をつけられて、全然追い付けずに終わった苦い記憶があります。
200メートルならこのくらいか、って陸上の選手でもなんでもないのに自分でセーブをかけていた。あのときの私にできたことは、ただ全力で走り抜けることだけだったのに。
いつの間にか2016年の暮れに流れついていました。
12月に入ってから、「私こんなにプレッシャーに弱かったっけ?」と思うことが増えました。
プレッシャーなんて言うけど自分で自分にかけているだけの呪いで、やっぱり私にできることは何も考えずに全力で200メートルを走ることだけなんですよね。
そう、余計なことは何も考えない!
小賢しく、余計なことばかり考えすぎて自らつぶれたがる人間です。だから〆切前に失速もするし楽な方に流れるし、風邪だって引いちゃうわけです。こうして計画は後ろ倒しになっていく。
だってつぶれてる方が楽なんですもん。
失敗に理由がある方がいい。
ここを抜け出さない限り、私は200メートル走で誰かを追い越すことはできないのだろうと思います。
「こういう言い訳のような記事を書いている時点で、お前はだめだ!」
はい、すみませんー!!!
耳が痛いですなぁ。叱責する自分とひたすら謝り倒す自分が胸の中で同居しています。
口をつぐんでしまうのは、私の悪い癖です。
歩みを止めたくなってしまうのは。
自分のペースで、なんて悠長なことは言いたくない。無理をしない程度に、なんて尚更みっともない。それは苦しそうな誰かにかけてあげる言葉であって、自分に言い聞かせるための言葉ではありません。
だからふと、今日のように歩みを止めてしまいたくなった日、私はこの本を読もうと思いました。
「一坪の奇跡」
1坪の奇跡―40年以上行列がとぎれない 吉祥寺「小ざさ」味と仕事
- 作者: 稲垣 篤子
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2010/12/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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(見本になるかと思って貼り付けはしたけど、Amazon在庫切れらしいので気になる方は店頭でお求めください。)
昨日買った本です。
うわぁっと胸にエネルギーがわいてくる気がしました。読みながら鳥肌たった。
これが生存本能という奴でしょうか。
生き残りたい、と思いました。
生き残りたい。埋もれたくない。見つけてほしい。目を留めたら一瞬だって離さないでいてほしい。
本当の意味でのプレッシャーが欲しい。期待されたい。その期待を全力で裏切って、予想を越えたい。
私の欲求なんて、シンプルなものです。
書きたい。読ませたい。それだけです。
シンプルになろう。簡単になろう。
200メートルを全力疾走しよう。
運動音痴だから足の動かし方とかいっぱい考えちゃうんですけど、そういう頭の使い方ではなくて。単純に速く走るための方法を考えよう。
追い込みすぎなのではなく、追い込みがまだ足りない。考えすぎなのではなく、考えが足りない。世の中は私が小賢しく考えているより、よほどシンプルなのかもしれません。
小賢しく生きるのをやめよう。
2016年12月27日、そんなことを考えました。
「一坪の奇跡」を読むきっかけになったのは、こちらの記事。
僕が『1坪の奇跡』を読んで15坪の本屋を開いた理由|1坪の奇跡|ダイヤモンド・オンライン
お世話になっている天狼院書店店主・三浦さんが書かれたものです。「一坪の奇跡」に影響を受けたという三浦さん自身も、とてもエネルギッシュな方で、常に夏休み中の小学3年生男子みたいで(誉めてますよこれ!)お会いするたびに目をキラキラさせながら「面白くない!?」「すごくない!?」と超高純度のエネルギーで攻撃を仕掛けてくる。ぶっちゃけ眩しいです。お会いした後どっと疲れるので、私が普段どれだけ低燃費低スピード走行しているのか思い知らされます。
三浦さんの姿を見ていて一番思うことは、「悔しい」かもしれません。私はもしかするとこんな人間になりたかったのかもしれない、と思うからです。面白いことに貪欲で、面白くなくなることに臆病で、エネルギッシュに突き進み、多くの人を巻き込んでいくような。なれると思っていて、なれなかった姿です。
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すごい!
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「すごい」で終わるのは、絶対いやだ~~!!!!!
私は自分のこういうところが、ちょっとだけ好きです。私は三浦さんにはなれないかもしれないけれど、すごい人に参りましたって言わせたいじゃない。偉くもないのに偉そうなただのOLは、これからも歩みを止めず、すごい人たちに張り合っていく所存です。
寄せられた期待が主食です。
プレッシャーを肴に、熱燗を飲んでやるよ。
だから、見ててください。じゃんじゃん期待してください。期待される私になるために、全力疾走しますから。
それではまた明日。元気に朝からお会いしましょう。
おやすみなさいませ(*´-`)