かつて私にとって雑誌を選ぶということは、生き方を選ぶことだった。
おはようございます。あやなです。
25歳くらいから、雑誌ジプシーやってます。おとなっぽくシンプルできれいめの服が着たい! でも、やっぱり可愛いのが好き! の、間にいたあの頃からです。
私、雑誌はずっと集英社っ子でして。雑誌遍歴を述べると、「Seventeen」→「non・no」→「MORE」と……おぉ、こうやって書き出してみるとフェミニンカジュアルのド王道ですね。
私にとって雑誌は背伸びをするためのものでした。少し上の世代の価値観を享受するもので、対象年齢どんぴしゃの世代になるとその雑誌は少し窮屈になってきます。
たとえば女子高生向けの「Seventeen」を読み始めたのは中学生の頃でしたし、高校の途中からは大学生向けの「non・no」を、就活を始める頃には「MORE」を読むようになりました。少し先の未来に手を伸ばすように。
だから、就職して25歳になったとき、「MORE」を卒業しよう、そう思ったのです。表紙に踊る「25歳からの○○」の文字が目に痛くて、「結婚したい女だと思わせる」ための特集だとか、「かわいいお弁当の作り方」特集で、ひそかに胃を痛めておりました。ここが分岐点なのかもしれない、と思いました。
「MORE」の次はどこに行くんだろう。同じ集英社から出ている働くアラサー向けのファッション誌なら……「BAILA」? でも、あんなにパリッとした服を着て堂々と歩けるほど、私は自分に自信がない。さらに、そんなパリッとしたオフィスカジュアルめいた服で働いていても、会社では前にならえで制服を着ているわけだし。なんだろう、この方向性が定まらない感じ。急に不安になりました。
oggiで生きるか、withで生きるか―25歳、女性誌の選択=生き方の選択?― - Life is too short,so...?
↑25歳と女性誌に関する考察で、非常に共感できる記事を見つけたので、シェアさせていただきます。
25歳は、分岐点でした。
就職して2年遅い春を迎え、自分の生き方について、真剣に考え始めた年でした。
あぁ、私はどこかに手を伸ばさなければならないのだ、指針を求めなければならないのだ。でも、だけど、どこに?
その答えは、集英社が与えてくれるものではありませんでした。わからなくて、雑誌ジプシーになりました。
雑誌を離れ、3年経ちました。
というか、逆にいろんな雑誌を読みました。それこそファッション誌にとどまらず、日経womanなどのバリキャリ系の読み物も、週刊誌も。学生の頃からダ・ヴィンチも好きだったので、気になる特集では手が止まりました。でもファッション誌に関しては全く触手が動きませんでした。
何を買うべきか、わからなかったからです。
そんな私が久々にファッション誌を買ってしまいました。
こちらです。
三栄書房から発刊された、「FUDGE」の増刊です。コンセプトは「フェミニントラッド・レディ」。隔月で発刊されているらしいです。「FUDGE」の存在は知っていたものの、ずっと手の出ない雑誌だと思っていました。
だってあまりにおしゃれすぎるんだもの!
丸眼鏡とか、ロング丈とか、流行ってるけど、典型的日本人の地味顔寸胴体型女には酷なんだもの!
「vikka」はその点、ユニセックスな「FUDGE」よりフェミニンが強くて、掲載された服にきゅんきゅんしちゃいます。プラス、読み物が……とても……おしゃれ!
「より良い暮らし」のための、キッチン家電やコスメの紹介は雑貨好き心をくすぐってきますし、旬の食材を使ったレシピも今の私には「かわいいお弁当づくり」より興味をそそられるものでした。さらに、週末の旅行特集で紹介されるのは「会津若松」だとー!!
会津若松、超行きたい。
私がこの雑誌を買ったのは、未来に手を伸ばしたからではありません。
「今」の私が、「今」好きなものが詰まっていたからです。
指針は雑誌が与えてくれるものではありませんでした。きっと、私のなかに既にあったのだと思います。「今」を見ずに未来にばかり手を伸ばしていたから、わからなかったのかもしれません。憧れで読むものだと思っていた女性誌が、形を変えた瞬間でした。
再来月も「vikka」を買うか、それは再来月の私が決めることです。そのとき欲しいと思ったものに素直になることを、「vikka」が教えてくれました。
雑誌ジプシーはまだまだ続きます。
でも、今までと違って幸せなジプシーです。
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本日の起床時刻
11:33(めーーーっちゃ寝ました!)
昼ごはん
うどんとマグロ丼食べに行った
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