なんのために? と問われたとき、エゴイストなりにこう答えたい。
おはようございます。あやなです。
私の好きな漫画の一つに「のだめカンタービレ」があります。落ちこぼれ音大生ののだめこと野田恵が、憧れの千秋先輩と共に音楽に情熱をかける青春群像劇(あるいは真面目なギャグ漫画)です。
この漫画のとある場面で、留学中ののだめはピアノの発表会を開くのですが、慣れないフランス語と緊張から彼女は間違えてこう言ってしまいます。
「楽しんで演奏するので、がんばって聞いてください!」
これを聞いてお客さんは、わっと笑うわけです。
「おいおい、がんばるのはお前だろー!」
「がんばれ、ノダメー!」
何でもない場面なのですが、なぜかこのシーンのことをよく思い出すのです。
私、「楽しんで」書いて、「がんばって」読んでもらってたのかなぁ……って。
「がんばって」書かないといけない局面にきてしまい、途方にくれています。いやこれほんとに。何が一番問題って、「がんばって」書く目的がない。伝えたいことがない。
去年、占いに行ったんですよね。なんとなく、行きたくなって。そしたらちょうど、前から気になっていた占い師の先生のキャンセルが出て、ラッキーなタイミングで行けることになったのです。
「あなたは今、何かがんばっていることがある?」
「え、ええと、小説を書いています」
「小説? なんのために?」
なんのため?
私は占い師の言葉に首を傾げました。深く考えたことがなかったからです。
「小説を書いて、誰に何を伝えたいの? ほら、今はAmazonで自費出版とかできる時代じゃない。ほんとに小説を書きたいなら、そういうのでいいんじゃないの?」
「え、ええと?」
「大体、あなたみたいな人生経験の浅い人が何を伝えるの? そこまでして小説が書きたいっていうなら、誰かに伝えたいメッセージがあるんでしょう?」
たとえば、落ち込んだ人に勇気を与えるとか、生きる希望を与えるとか。いろいろあるじゃない。好きだから書きたい、ってだけなら、Amazonの自費出版でいいじゃない。そしたらあなた、もう小説家よ? それよりももっと大事なことがあるでしょう。あなた仕事は何してるの? え、経理? 素敵じゃない、安定してるし、武器になるじゃない。それを頑張りなさいよ。
占い師の先生はそう言うのでした。
なんか違う。私はそう思いました。いや、なんかちゃうねん。何が違うのか、ちょっとうまく説明できないけれど、ちゃうねんって。
とりあえずお金を貯めろ。英語を勉強しろ。本を出したいならAmazonでやれ。彼女のアドバイスはそれで終わりました。
人生経験が浅いとか、小説を書いていることがどうとか、それはもういいのです。本当のことだし。言わせておけばいいのです。
私が一番ショックだったのは、「なんのために?」と言われて、何も答えられなかったことでした。
……なんのために?
書きたいから書いてます。楽しいから書いてます。好きだから書いてます。漫画の中ののだめも言いました。「自由に楽しくピアノを弾いて、何が悪いんですかー!」と。あぁ、私はのだめなんだ、と思いました。それも、ダメダメだった頃ののだめ。千秋先輩に出会う前ののだめ。
「楽しんで」書いて、「がんばって」読んでもらうところを抜け出さないといけない。「がんばって」書くためには目的が必要。だけど、悲しいことに私はひとに伝えたいことなどないのです。誰かを幸せにしたいとか、そういう気持ちがないのです。
だって、私がひとの気持ちを変えようなんて烏滸がましいじゃありませんか。
前向きも後ろ向きも、幸せも不幸せも、そのひとだけの感情であって、私がどうこうしようなんて思わない。誰の気持ちにも踏み込みたくなかった。たぶん、それは私自身が自分の領域を誰にも踏み込まれたくなかったからなんだと思います。部屋が汚れていたって誰にも掃除なんかされたくない。それは私の部屋なのだから、汚れているかどうかの価値判断も、掃除をするか否かの選択権も私が握っている。
なんて頑なな、エゴイストなんでしょう。優しさの欠片もない。そんな自分に気づいてしまってから、どうすればいいんだろう、何を書けばいいんだろう、と途方に暮れることになりました。
最近の私はですね、「なんのために書くか」ではなく「誰のために書くか」を意識するようにしています。世界平和とか生きる希望とか、正直なところよくわからないのです。占い師の語ったとおり、私は人生経験の浅いただのOLです。ひどいエゴイストです。高尚なことを伝えられるほど優れた人間ではありません。想像力も乏しいのかもしれません。
でも目の前にいるひとが泣いていたら、一緒に泣いてしまうようなお人好しではあるようです。目的を定めるというより、弓を引き、的を定めるイメージで、この文章を誰に捧げるかを考えるのが性に合っているのかもしれません。
私は頑なだし、エゴイストですが、ひとが大好きです。夕焼けを見ても泣かない、花を見ても特に感動を覚えない、でも、ひとは大好きです。美しさも醜さも引っくるめて、泣きたいくらいに愛しちゃってます。好きすぎてどうしたらいいのかわからないのです。力加減ができなくて、うまく愛せる自信はないけれど、その代わりに(と言っては何ですが)文章を書いています。笑いでも泣きでも、不条理でも不合理でも、ひとを描きたいなと思います。感情や価値観や、人生そのものを。
そうですね、もしかしたら、私がもっとうまくなって、人生経験も積んで成熟しきったら、伝えたいことが出てくるかもしれないですしね。それまでは、「なんのために」ではなく「誰のために」でいいのかもしれないなぁと思いました。のだめは千秋先輩と共演するためにがんばったわけだし、私の尊敬するはやみね先生も自分の教え子に読ませる本を作るために作家になったと聞きます。
この先目的に迷ったときはぜひ、思い出したい。「なんのために」より「誰のために」を考える方が易しいんじゃないか、と。小さな世界からではありますが、誰かのために書くことで少しでも波紋を広げていけたらいいな。もっと遠くまで広がっていけばいいな。
なーんて、青臭いことを考えながら今日も小説を書いておりますよ。
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