モーニン!

ただのOLが平日限定で9:00までに更新するブログ

博愛主義者の浮気に目くじらを立てる必要はないのかもしれない

おはようございます。あやなです。

恐ろしく嫉妬深いです。

この年になって、ようやく自分の嫉妬深さに気づく愚かさをどうぞ笑ってやってください。なぜか昔から私には、デキる友人が多く、すごいねすごいねと言いながら、頬の筋肉が凍りつく感覚を味わうことがあります。

ひとの喜ぶ顔を見るのは大好きなのです。

なのに、絶対に喜ぶとわかっている「すごいね」を心から口にできない。そんな自分をうまく消化できずにいます。

負けず嫌いといえば聞こえはいいのですが、「私だってほんとはすごいんだ」と「私なんかこの人たちには到底叶わないんだ」が常に心の中でバチバチ火花を散らしている感じです。「私だって」という嫉妬心だけでギラギラしていられるならどんなにいいだろう。ギラギラした嫉妬を売り物にできるほど腹をくくれてもいなくて、結局は自分に自信がないのです。

常に一番でいられたらいいなと思います。世界中の人にとって、一番の。そしたら誰にも醜い嫉妬なんかせず、心穏やかに生きていけるはずなのです。もしくは聖人君子になりたい。でもそんなの有り得ないとわかっているし、その一番を目指すことに意味がないことも承知の上でして。

理想の「かっこいい自分」を目指すことで、枯渇しっぱなしの承認欲求を少しずつ満たして、なんとか生きているのだと思います。

私が源氏物語で一番共感できる女性は、断トツで六条御息所です。惹かれたらいけないと思っていた男に結局恋をして、最後は嫉妬に苛まれて生き霊になってしまう彼女です。私が源氏物語の各ヒロインの立場なら絶対生き霊になっていたと思います。なんなら、六条御息所のように浮気相手(夕顔)だけじゃなく、愛する恋人(源氏)にも呪いをかけていたことでしょう。自分を一番にしてくれない男なら、それくらいのことをしても許されるんじゃないの、と燃え上がる嫉妬に任せて生き霊の猛威を奮ってやります。

でも、実際にはそんなことできませんから。

現代の六条御息所である私は、一番を目指さず薄ら笑いを浮かべて生きていくか、情念に身を焦がしながらなれもしないキングを目指すしかないのだと思っていました。

 

しかし、最近わかってきました。

「成功」って、博愛主義者です。誰にだってチャンスがある。少ないパイを奪い合う必要は必ずしもないのではないかと。競技や成績、コンペティションには順位があります。相対評価に慣れた私たちは、誰かを押し退けなければ1位になれないと思い込んでいるのかもしれません。少なくとも、私はそうでした。だから自分よりデキる誰かを見て(或いは見るのが怖くて、見ない振りをして)消化不良を抱えながら生きてきたのでしょう。

自分より誉められている誰かは全員嫌いでした。嫌いで居続けるのは苦しいから、1位を目指さなければいけませんでした。

……なんて、そんなの全部言い訳で。

嫉妬するのが、単に好きだったのかなと。

情念に苛まれることが快感だったのかなと。

源氏の浮気は許せないけど、成功の浮気はどんどん許していいんですよね。みんなみんなハッピーのハーレム世界の方がいいに決まってるもの。

私は嫉妬するのが楽しくて仕方なかったんです。嫉妬が、私にとって一番大きな感情の動きだったのだと思います。

要は、独り占めしたかった。私だけのものでいてほしかった。

いやいや、束縛したら逃げていっちゃいますから。博愛主義者の浮気に目くじらを立てる必要はないのかもしれません。

それなら私だって博愛主義者という名の浮気者です。成功が欲しいし、愛も欲しい。ちやほやされたい、大富豪になりたい。好きなことで日々おいしいごはんを食べて、毎日面白いことだけ考えて生きたい。文章を書くのが好き。本を読むのが好き。人と話すのが好き。30分後にはすっかり忘れてしまうような、くだらないギャグで爆笑するのが好き。

成功したいなら、愛は要らないよね? なんてどろどろしたこと言われたら、いやいやそんなこと言わないでって言っちゃいますもん。

成功よ、君の浮気を許す。まったく、忙しいね、博愛主義者ってやつぁ。

そのかわり、私のこともちゃんと見てよね。平等に愛してね。