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【第67回】なんてことないカルテット感想

おはようございます。あやなです。

今日は5時半くらいに起きたんだけど二度寝してしまいました~。起きたら7時半でした。ショックです。二度寝しない方法を教えて下さい……。

昨日、初めてドラマ「カルテット」をリアルタイム視聴しました。いつもはなんやかんやと時間が合わず、TBSのオンデマンドを観ているのですが、テレビで観るのはやっぱりいいですね~!

Twitterでもハッシュタグ付きで考察が駆け巡ってましたし、それを読みつつ二度おいしい。4話後半は1話の衝撃に比肩するジェットコースターっぷりでした。はぁ……来週まで待てない。早く続きをおくれ……。

 

本当になんてことない感想しか書けないのですが、どうしても「カルテット」について書きたくてですね!  語らせてくださいっ。

以下、ネタバレ注意です。

 

「カルテット」の面白さが会話劇にあることは既に以前の記事で書いたと思いますが、4話ではゲストキャラである茶馬子が名言を連発していましたね。茶馬子は最初嫌な女なのかと思っていたけれど、家森さんとの会話を経て、しっかりした女っぷりを見せていました。家森さんと茶馬子の息子、こうたくんも本当に素直ないい子に育っていました。

私が一番ずきりとした台詞はこちら。

「子をかすがいにしたときが、夫婦が終わるとき」

この台詞にドキッとした視聴者は多かったのではないでしょうか。「子はかすがい」文化によって、傷ついてきたかつての子供の多くが、きっと同じことを言いたかったから。

かすがいになれなくてごめんね。

これまでの人生で何度となく私はそんなことを思ってきたけれど、かすがいになんて、なろうとしなくて良かったのかもしれないと思いました。茶馬子の言葉を借りると、かすがいを必要とした時点で、既に夫婦は破綻していたのだから。

1話で真紀さんも言っていたけれど、「夫婦は別れられる家族」です。血縁関係のない赤の他人が一種の契約によって「家族」になるわけです。その関係性を保っていくために、「愛情」だったり「絆」だったりの補強が必要になりますが、確かに、そこに「子供」を取り込んでしまうことには話のすり替え的な違和感を覚えます。

「夫婦の問題」を「家族の問題」に巧妙にすり替えている。子供は別れられない家族、だからです。別れられるからこそ補強が必要なのに、子供を引っくるめることで「別れられない家族の問題」にしてしまうのは少し乱暴です。

……ということに、気づかなければならなかった。子供は大人が思う以上に、父と母の関係性を敏感に読み取っているものです。"かすがいになれない"罪悪感を覚えて生きる子供も、存在するのです。こうたが父である家森さんを恋しく思うとき、どうして自分はかすがいになれなかったのだろうと自責の念を抱くでしょうか。

きっと茶馬子のような母なら、こうたは大丈夫だと思います。「子をかすがいにしたときが、夫婦が終わるとき」と啖呵を切ってくれた茶馬子が母なら、こうたは大丈夫。なんとなく、そう思います。

 

はじめの予想を裏切って、「カルテット」は結婚と家族の話が続いてきました。真紀さんは夫さんとの、別府さんは結婚していった同僚との、すずめちゃんはお父さんとの、家森さんは茶馬子とこうたの。

次週で第一幕が終わり、第二幕が始まるらしいです。ストーリー上、真紀さんの素性が明らかになるのは最終回付近でしょうが、結婚と家族の流れは一度来週である程度の帰着を見せるのではないかと思っています。ここまではお当番回というか、自己紹介みたいなもので。

この結婚観、家族観を元に、彼らはどう行動するのかと見せつけられている感じを受けます。

来週の「カルテット」が楽しみです!

個人的にはベランダに置かれたゴミ袋がこわくて仕方ありません。冬なのに異臭騒ぎ……伏線ではありませんように。