「努力は必ず報われる」に異議を唱える時が来た
おはようございます。あやなです。
指が腫れて、ついに曲がらなくなってしまったので、急遽、病院に行きました。どうやら逆剥けからバイ菌が入ったようです。左手の人差し指が紫色に変色して、自分の指ながら、おぉ……なんだこのグロい物体は……と思いつつ。心底左手でよかったです、ほんとに!
その後化膿した部分が真っ白になってきまして、この膿が全部出たら治るのかなぁ。
とはいえ、最近携帯をなくすわ怪我するわで一時期流行っていた大殺界ってやつではと頭を悩ませております。……大半自分が悪いのですが……。まぁ、デスクワークなのでPCが満足に打てないとわりかし困ります!
こうして困っていることをネタにすると、痛いのに頑張っていて偉いねと言われたいのかよと自分でも思ってしまうんですけど、そういうことではなく。
毎日更新を掲げて書く量を増やすことすら、「努力」といってしまっていいのか、と私は思うわけです。ライティングの勉強の一貫としてブログを更新しているけれども、それってほんとに方向性として正しいの? みたいな。
薄い内容を毎日書いて自己満足してるだけじゃないのかとか……。
それならいっそ週一更新にしてちゃんと濃いネタを書いた方がいいんじゃないかとか……。
自分のやっていることが正しいと思えるほど自信がなくて、だからこそこんな記事を更新ながらぐらぐらと揺らいでいます。
現に、今すごい作品を書かれている方ってブログをやっているわけでなくても、それでも面白いものを量産しているわけですよ。全然追い付けないことに焦ったりもしているし、そんなに焦らなくても自分のペースってあるからね、と言われたところで、やっぱり先行者利益ってあるじゃないですか。どうやったらそこに追い付けるんだ、と思うと、私なんかは量を増やしてがむしゃらにやることしか思い浮かばないわけです。
「努力は必ず報われるのか論争」は古今東西、相当根深いものがあります。とにかくがむしゃらに練習量をこなした方がいいのかと、結局大事なのは練習の量ではなく質ではないのかとか。正しい方向に努力した人は報われるとか。
努力迷子常習犯の私は、そんな言葉では余計迷子になるばかりです。
「努力は必ず報われるものではないけれど、報われた人は必ず努力している」みたいな、そんなの強者の論理ですから。
努力は必ず報われるのか?
とにかくがむしゃらにやることが、正解なのか?
そこに出した私なりの結論。
がむしゃらにやるしかないんじゃないかなぁ……。
ただ、がむしゃらにやった上で、その濃度を高くしていくことが大事なのかな、と思います。やっつけ仕事になって薄まっていくなら、それは努力とはいえない。練習の数を減らして一回一回を大切にした方がいいのかもしれないけれど、結局場数をこなしてこなしてこなしまくった人の方が断然強い。
叩き上げの刑事さんだって、最初は青臭いガキンチョなわけですから。現場の血なまぐささに触れてこそ、感覚を研ぎ澄まして、刑事のカンなんてものを手に入れていくわけでしょう。
いかに濃度を上げていくかということ。
それに尽きるのかなと思います。
最近、本当に更新することに必死になってしまって面白い記事をあげられていないな、と反省しています。更新を目標にするのでなく、濃度を上げることに注力したいです。
たとえ指が変色しても。
頭が空っぽになって干からびても。
全っ然ダメで、もうだめだって思っても。
書くことをやめるつもりはありません。
決めたんです。絶対に諦めないって。
努力は必ず報われるとは思いません。
努力だと思ってやっていることが、本当に努力だといえるのか、自分では正しく判断できないから。他人に評価を得たところで、あまり意味もないのかもしれません。成功に結び付いた努力こそが努力だと見なされてしまうのかもしれません。
自分で「これは違うのか?」 「これで本当にいいのか?」と自問自答することに意味があるのかもしれない。正しい努力の形なんて誰にもわからないけれど、その試行錯誤は必ず自分のためになると私は信じています。
ということで!
私の長い旅路は続きます。もうほんと、胃の痛い毎日です! 超つらいです! でも楽しいです!
自分なりの「面白さ」を見つけられるように、もうちょっと頑張ってみます。