モーニン!

ただのOLが平日限定で9:00までに更新するブログ

六本松4丁目2番地1号にまつわる、甘くて苦い灰色の記憶について

おはようございます。あやなです。

最近福岡で最も注目を集めている、熱い街といえば……
f:id:ui_a:20171105152536j:image
f:id:ui_a:20171105152554j:image

六本松です。

かつて九州大学の教養部として親しまれた、六本松キャンパス。その跡地の再開発で街の雰囲気は変化しつつあります。街を行くのは、ベビーカーを押した若い夫婦、穏やかな表情の銀髪紳士、クラシカルな眼鏡をかけた若者たち……。上質なアーバンライフを過ごすなら、これ以上の街はないように思います。

クロスバイクに乗って、懐かしの六本松に行ってみることにしました。

甘くて苦い思い出の地、私たちの六本松。

私の知る六本松は青空より、夜空より、薄暗い曇り空の似合う街でした。ひび割れたコンクリート造りのキャンパスと、鬱蒼と繁った木々がそう思わせたのかもしれません。2007年2月、初めて訪れた六本松キャンパスは荘厳というよりはただただ暗く、陰気に思えました。

 

2007年4月、私は九州大学に入学しました。

教養部に通ったのは2年の前期までの1年半で、六本松が伊都キャンパスに完全移転したのが翌々年の4月でしたから、伊都キャンパスに通わない最後の世代になりました。*1

正直に言うと、六本松キャンパス自体に思い入れはありません。

思い入れるほどキャンパスに通った記憶がありません。

不良学生でした。

学校にいる時間より、近所にあったダイエーのフードコートでぼうっとしたり、黒木書店で立ち読みしたり、家で小説を書いている時間の方が多かったように思います。受験勉強で大変な苦労をして、ようやく入れた第一志望の大学だったのに、私は少しも馴染めませんでした。

受験勉強は私にたくさんの知識と教養を与えてくれましたが、それ以上に強い弊害をもたらしました。高校3年生の秋、教室で倒れて以来、人が集まる場所でじっと椅子に座っていることができなくなったのです。教室はその最たる場所でした。自由に出られないストレスを感じて息ができなくなり、激しい動悸に襲われます。手足がしびれてまともに歩けず、授業中に発作が出ては担架で保健室に運ばれる日々でした。

大学に入っても症状は改善されるどころか、むしろどんどん悪化して、バスや映画館もだめになり、次第に私は引きこもるようになりました。入っていた部活からも遠退き、キャンパスにも行かなくなり、人と疎遠になりました。

なので、私の六本松キャンパスにまつわる思い出は苦しい記憶ばかりです。息が詰まって、心臓がうるさくて、手足が痺れて、涙が止まらなくて。

青空が鮮やかに晴れていても、葉の色が赤く色づく季節になっても、私の目にはいつも2月の曇り空が映っていました。寂しく冷たい、灰色の街でした。

それでも、なぜでしょう。

すっかり様変わりした六本松にいると、なんだかむずむずします。違う、これは六本松じゃない、と思います。
f:id:ui_a:20171105231344j:image

嫌いなはずだったのに。
f:id:ui_a:20171105232016j:image

妙に懐かしいのはなぜだろう。

f:id:ui_a:20171105232039j:image

一本奥の道に入れば、昔のままの風景を残していて、ヒリッと苦い中にかすかな甘さを感じます。辛かったことも苦しかったことも、すでに今では懐かしく、笑って話せるからなのだと思います。

 

六本松421と名付けられた商業施設。

名前の由来は六本松4丁目2番地1号、教養部の住所だそうです。意味深な数字の割にストレートすぎて拍子抜けしてしまいます。

すっかりおしゃれな街になり、芋九と言われていた九大生が街から消えてしまっても、絶妙なダサさを残しつつ六本松は進化していくのでしょう。

福岡で今一番熱い街、六本松。

もうここは、灰色の街ではありません。

 

----------------------

記事を書いている途中で寝落ちしてしまった!

*1:正確に言うと、なる予定でした! 語学の単位を落として結局伊都に通った私です!