心から好きだと言いたくて、言えなくて、少しふるえちゃうこの気持ち。
おはようございます。あやなです。
本日は福岡市にある「アフターザレイン」さんの古本市にお邪魔してきました!
↓アフターザレインさんfacebookページ
https://www.facebook.com/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3-155506357849772/
普段は33種類のハイボールとトンテキカレーが美味しいバーらしいです!
私は今日初めてお邪魔したのですが、本や漫画、映画に出てくるごはんを再現して提供してくれるバーということで、本好きにはたまらんバーですよね。
来週の水曜日、11月13日のイベントでは東野圭吾「流星の絆」のアカシアのハヤシライスとか、森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」に出てきた電気ブランなどなどあるらしく……! めっちゃ行きたい! ど平日!泣
天狼院書店のゼミに通うようになって、本の話ができるお友達が増えて、ああだこうだとお話をするうちに、
あぁ、私ってやっぱり本が好きなんだなぁ。
と再認識するようになりました。
私は何かを好きになるとき、もしくは誰かを好きになるとき、からだがふるえてしまうほど、「好き」という感情をおそろしく思ってしまいます。
「好き」に対して、責任を負わないといけないと思ってしまうからです。全身全霊かけて自分自身のすべてを擲って、好きなもののいいところも悪いところもすべて好きでいなければならないと、病的に思い込んでしまうのです。
本好きを名乗るからには月に100冊読んでいなければならない、とか、ブックレビューを書けなければいけない、とか、駄作を面白いと言ってはいけない、とか、好きな作家の本は全部読んでいなければならない、とか。
雑音が外圧に変わって、「そんなことも知らないの?」「そんなこともわからないの?」と言われることを非常に恐れていました。
雑音にはまるで接尾語のように、「好きなのに」と。
「好き」を人質にとられた気分で、いつしか追い立てられるように本を読んでいました。
そんな読み方をしていたせいでしょうか。3年ほど一切本を読むことができなかった時期がありました。当時はあまりに精神的に参っていて、活字を読むと吐いたり3日くらいご飯が食べられなかったり、本屋に行くとそれだけで目眩がして倒れたり、病的というよりはむしろ、ストレートにこころの病気だったのかもしれません。
そんな私が再び本を手に取ることができたのは、純粋に本が好きな人と話す機会が増えたからだと思います。
本好きって、おとなしいように見えて元来話し好きな人が多いのだと思います。批判ばかりする攻撃性の高い人もいるけれど、ここ1年ほどで出会った本好きは皆さん、気さくで明るくて、底に沈んでいた私を引っ張りあげてくださるエネルギーに溢れていました。
「アフターザレイン」でお話しした方も皆さん気さくで優しくて、隠れ人見知りの私はうまくお話しできたでしょうか、と、どきどきしてしまいます。
(特に、カウンター越しに店員のお兄さんとお話しするのは緊張します。話しかけられて人知れず汗かきながら答えました。肩書きのない男の人と話すの、いくつになっても下手くそです)
「好き」に責任はいらない。
何を読んでもいい。
ただ、「好き」でいればいい。
そんなの、当たり前じゃん! と思われるのかもしれません。けれど私にとってはひどく難しかった。受け入れるのに時間がかかりました。
今になってようやく、本が好きだと笑えます。
全身全霊かけなくても、自分のすべてを擲たなくても、「好き」っていう、ただそれだけで100点満点花丸なのかもしれないなぁ。
実はこの記事では、私の好きな本と好きな作家について語ろうと思ってたんです。でも長くなってきたのでやめます!笑
私の好きな本の話は別の記事で。
ただ「好き」で、何も考察しない、面白くもなんともない記事かもしれませんが、見かけたらどうぞご笑覧ください。