弱さを抱えて走ること
おはようございます。あやなです。
先週からずっと体調が悪くて、気が滅入っていました。メニエールとお付き合いを始めて10年以上経ちますが、ふとした瞬間に暴れだすので大変です。
環境が変わったり、何か悩みを抱えていたり、突然忙しくなったり、その逆だったり。
ふらふらになってかかりつけの耳鼻科に行くたびに、先生に
「今度は何をがんばりすぎたとね?」
と言われるので、へへへ、と笑って返します。
一番酷かったのは、5年前祖母が他界したとき。あれも春でした。4月のはじめ頃。実家に帰り、葬儀やなんやらで忙しなく働いたあと、パタリと動けなくなってしまいました。長男の長女で、年も一番若かったので私が率先して働かなければならないと思いました。家のことをすべて済ませて福岡に戻り、一人暮らしの部屋に帰ってきて初めて、猛烈に祖母を失った悲しみが襲ってきました。そのあとはもうだめでした。
あのときはあまりに外に出られなくて、会社を辞めるかと本気で悩みました。
「ストレスがたまる前に休まんといけんよ」
「砂時計みたいに、ストレスがたまっていく様子が目に見えればいいんですけどね」
「なんか疲れてる、とか、わかるやろ?」
「……私はただ、必死に生きてるだけなんですけど」
そんなに必死にならなくていいんだ、と人は言います。そうなのかもしれません。でも、必死でいる方が楽なんです。あと、とても楽しい気持ちでいられるのです。全速力で駆け抜けている間は。
土日は少し良くなったので友人に外に連れ出され、たくさん笑わせてもらいました。おかげさまでだいぶ回復してきた気がします。
「笑ってりゃ大概何とかなる」
「せやな」
「あとはビールに焼き鳥があればいい」
「せやせや」
友人よ、ありがとう。
ビール美味しかったね。
かかりつけの先生や、友人、職場の方。私を大事にしてくれるすべての方。本当に優しい方に囲まれて、人に恵まれた人生です。自分を大事にする方法なんて知らないけれど、そういう優しい方々に心配をかけないように生きたいな、とは思います。
ふと立ち止まったり、我に返ったり、一人になった瞬間に自分の精神的な弱さを感じます。ちょうど、誰かがいるときには全く酔わないのだけれど、一人になった瞬間に陽気になって千鳥足で歌いながら帰る感覚に似て。
がんばりすぎなのではない、むしろ私に関しては、まだまだがんばりが足りないのだ。歩みを止めないように走り続けなければならないな、と思います。目標に対してアホになった方がいい。小賢しくあれこれ考えるから歩みを止めてしまうのです。
走り続けるしかない。
パタリと倒れてしまわないように。誰にも迷惑をかけないように。
たぶん人は私を見て、愚かだと思うでしょう。でもやっぱり、私はこういう生き方しかできないなぁと感じます。
走り続ける持久力をください。
強靭な心臓をください。
あとは頭を空っぽにして、一歩を踏み出すとしましょう。