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賞味期限切れの、夢を見ている。

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子供の頃に見た夢を覚えていますか?

"お花屋さん"

"ケーキ屋さん"

"おもちゃ屋さん"

"野球選手"

ーーふむふむ。なるほど。

じゃあ、なぜそれになりたかったか、覚えていますか?

私は覚えています。ぜんぶ、ぜんぶ、泣きたいくらいはっきりと覚えています。

なぜならその夢は、捨てたくても捨てられなかった、私の一番星だから。

夢には賞味期限があると思うのです。

私の見ている夢はとうに賞味期限の切れた、苦い苦い夢なのかもしれません。

 

"小説家になりたい"

はっきり夢に描いたのは、小学2年生の頃です。

当時の私は、友達を作るのが得意ではありませんでした。家にも居場所を見つけられず、人知れず孤独感を抱えていました。

それでも、寂しいと口に出せない子供でした。

なぜ読むのか、なぜ書くのかと問われたら、私は一言「寂しいから」と答えるでしょう。

世界中で一番好きな場所は、学校の図書館。本は、ひとりきりの私に寄り添ってくれる存在でした。文字でなら、口にすると誰かを傷つけてしまう寂しさを素直に吐き出すこともできました。

寂しさの捌け口だった文章は次第に変化していきました。私も、自分の言葉で、寂しさを抱える誰かに寄り添いたい。

たった一人でもいい、世界のどこかにいる私の言葉によって救われる人がいてくれたら、どんなに嬉しいかーー。

"小説家になりたい"

私の夢は、そうやって見つけた、一番星だったのです。真っ暗だった私の夜に光が射したような気がしました。

 

年を重ねるごとに、大事なものが増えて、私の夢は変容していきました。

家族とのわだかまりは溶けだし、優しい友達に恵まれ、正しさの塊のような恋人がいて、安定した会社で働き、大好きな福岡の街で自由を謳歌して。私の世界で大事なものが家を構えて、こうこうと輝いているのです。

明るすぎる夜のなかで、それでも私は一番星を探して、大事なものがせっかく灯してくれた光を、必死に消して回ろうとする。私の星は今、夜空のどの位置にいるのですか?

"小説家になりたい"

夢って、輝かしいものですか?

それは"執着"と、どう違うのですか?

8歳で描いた夢を20年にもわたって、追いかけて、追いかけ続けて、こんなに切実で苦しく苦々しい願いをまだ"夢"と呼んでもいいのでしょうか。ときどきわからなくなります。夢らしき想いを咀嚼すればひどく苦くて、私の夢はとっくに、賞味期限を過ぎているのだと思います。

"ほんとに小説家になりたいの?"

"どうしてなりたいの?"

"もう、ならなくてもいいんじゃない?"

"苦しいだけなのに"

夜が十分明るいなら、星明かりを頼りにする必要はない。目を凝らしてかすかな光を探すこともない。

なのになぜ私は、夜空を見上げてしまうのでしょうか。

過去の呪縛がそうさせているだけ、なのでしょうか。

 

考えたところで答えは出ません。

ただ一つ、これだけは確かです。

見えにくくはなったかもしれないけど、星は死んでいない、ということ。

文章を書くことはあまりに私の日常に溶け込んでいて、今更特別には思えません。呼吸のようなものです。空気を吸って酸素だけを取り込み二酸化炭素を吐き出すように、思考して解釈し文章化する。書いていないときの私は私以外の「何者か」を演じているようにさえ思えるほど、不自然なのです。

"小説家になりたい"

描いた夢は、もしかすると、北斗星だったのかもしれません。光が弱くても、位置を見失っても、当然同じ北の空にいてくれる存在。

小説を書いている自分の方が自然なら、今更無理やり位置を変える必要もないでしょう。

就活で出版社を受けたときに、こんな台詞で面接を落とされたことがあります。

「君みたいな人は結局、小説家になる以外に生きる場所がないんだ」

あのときはなんという断り文句だと怒り狂い、「そんなん、なれるもんならなるし、だったら私の本を出してくれよ御社よぉ」とふつふつ怒りを滾らせたものですが、今ならその言葉が不思議としっくりくるのです。

「あぁ、そっか。小説家になればいいんだ。それが自然なんだな」

実現可能性がぐんと上がったわけでもないのに、当たり前のことのように、受け止めている自分がいるのです。

夢には賞味期限があります。

純粋に、変わらぬ夢を見続けるのはとても難しい。環境や価値観の変化に伴って夢は変容し、いつの間にか違うものになってしまうのではないでしょうか。

だけど、賞味期限が切れたって消費期限は切れない。夢でも執着でも、名前はなんでもいい。この苦さを「大人の味」と笑い飛ばせる自分でありたい。そう思います。

 

さて、賞味期限の切れた夢をどうおいしく調理しましょうか。

「チーズ」を「牛乳」と呼ばないように、すっかり味の変わったこれを、今後はもう、夢とは呼びません。

ーーいい名前を思い付きました。

"現実"、と呼びましょう。

 20171221Thu.

 

 

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そんなわけで、ずっと小説を書いております。10月から月に一度は投稿する生活を始めました。途中何度か精神的に追い詰められつつ、何とか現世に踏みとどまっています。

「締切が終われば何が始まるんです?」

\締切/

といった毎日です。

ストイックでも真面目でもありませんが、愛が重すぎて思い込みが激しすぎてすぐ思い詰める性格(人はそれをヤンデレと呼ぶ)ではあるので、やんわりと自分を諌めながら生きていこうと思います。

今月のノルマはなんとか果たしましたが来月重めの締切が重なっているのでどうにかこうにか頑張ります。

おやすみなさいませ。