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【第2回】悪口というサービス業

口が悪い自覚はないんですが、たまに「実は口悪いよね」と言われます。

いや、しかし、しかしですよ、お姉さん。

たとえば「いじわる」な人がいたとして、「○○さんて、いじわるだよね」と言うことは本当に悪口なのでしょうか?

 

私は「いじわる」なことは数ある特徴の一つに過ぎないと思っていて、たとえば「いじわる」だったとしても「やさしい」だったとしても、特徴は等価値だと思っています。社会において「いじわる」がうまく働くこともあるし、「やさしさ」が仇になるケースもたくさんある。それに、「いじわる」も「やさしい」もそのひとの全部ではない。「いじわる」なジャイアンが映画では人情に厚い男になるように、「やさしい」人が「やさしい」まま独裁者になっていくかもしれない。

長所とか短所とかどちらにも振れるからこそ、私はフラットに「ひと」を捉えたいと思っていて、良い/悪いを決めるのは結局他人の物差し・そのひとが身を置いている環境と、ケースバイケースだから、一概に「いじわる」を指摘することが悪口とは言えないと思っています。

 

ただ、自分のいないところで「○○さんて、いじわるだよね」なんて言われて「そうそう、私いじわるなんだよ! わかってくれてありがとう! やったー!」なんて喜ぶひとはいません。私にだってそのくらいの分別はあります。「あやなさんて、いじわるだよね。良い意味で」と取り繕われたところで、良い意味でいじわるって何だよ、いじわるに良いも悪いもねーだろと思います。

 

だから私は、悪口ととられるおそれのあることに関しては、当事者の目の前で面と向かって言うことを信条にしています。目の前で言えば誤解を生みそうになってもすぐフォローを入れられるし、顔を見て言うことで表現もマイルドになりますからね。当事者のいないところで言っちゃうと、悪口如何を議論する以前の問題です。陰で言った瞬間に陰口になっちゃいますから。

具体的に言うと、

「あなたのこういうところが嫌いです」とか、

「マジで変な奴ですね」とか、

「そのボケ、返しづらいんで、もっと腕を磨いてください」とかです。

よくそれで社会生活円満にやっていけるな! と言われそうですが、本当に円満にやっていけているか明言は避けますが、(私の周りの方が私をどう評価しているのかわからないので!)少なくとも「あやなさんて、意外と言うよね」と笑ってもらえるのは一定の成果なのかなと思っています。今のところガチで怒られたり嫌われたりされていないので、円満にやっていけてると思うんですけど、周りの人に恵まれているのか、怒られないギリギリの範囲で攻めているのかちょっと判断つきません。

 

以前の私は慇懃無礼を絵に描いたような子供でした。いや、中高までの優等生はそれで良かったんです。慇懃無礼慇懃無礼、インギン・オブ・ジョイトイで良かったんですよ。ちゃんとした敬語が使えて、目上の人を立て、後輩をかわいがる。それが一番評価が高かった。

けれど大学に入ってから、その評価は一転しました。甘えられる後輩こそが先輩に可愛がられ、質問や反対意見を述べられないバイトは叱られました。

「わからないことは何でも言ってね。何でも相談してね」から、「さっきから『はい』しか言ってないけどほんとにわかってんの?」に至るまで、どの環境においても先輩との関係を作るのが一番きつかった。

そんなとき、私は彼女に出会いました。

私の後輩にクレイジー・ハニー・ガール「まりちゃん」という女の子がいます。私は「まりちゃん」の生き方を尊敬するし、アホだけどかっこいいなと思います。アホやけどな。笑

「まりちゃん」は酔って先輩の私に魚の骨を投げつけてくる女の子です。それも、ケラケラ笑いながら。翌日には覚えていないと言い張ります。絶対覚えてるよあの女。

でも、ついつい許しちゃう不思議な子です。

甘え上手で笑顔が可愛くて、抱き締めてよしよししたくなる、ぬいぐるみみたいな女の子。「あやさーん」と抱きつかれると、あぁ、今この子を甘やかす権利をもらえたんだ、と嬉しく思うくらい。

私は「まりちゃん」に出会ったとき、本気で「まりちゃん」になりたいと思ったし、今も人間関係で悩む場面にぶつかったら「まりちゃんならどうするかな」と真っ先に思います。

しかし「まりちゃん」になれないことはわかっていて、慇懃無礼に生きてきた優等生(しかも筋金入りの長女ときた!)が、簡単に甘え上手になれるなら苦労はしないのです。

ただ、もし何か言いたいことができたとき、そのとき初めて声を上げると角が立つということは学びました。

「まりちゃん」がもし甘え上手でなく、慇懃無礼な後輩だったら私は突然魚の骨を投げつけられて戸惑い、激怒したと思います。「まりちゃん」だったから、「まぁまりちゃんなら仕方ないな」で済みました。(今でもちくちくいやみを言う程度には根に持ってるけどな!!)

何を言っても「はい」しか言わなかった私が突然反旗を翻したら「今まで従順だったのに、何なの」と思われる。「言えって言ったのは先輩の方でしょー!」と怒っても伝わらない。

「まりちゃん」は私に地均しのやり方を教えてくれたのだと思います。

 

社会に出たとき私が何よりも大切にしたのは、「偉そうにする」ということでした。

偉くはないです。平社員だし、事務職だし、仕事はできないし。でも関係ないです。「偉そうにする」ことに根拠はいらないです。

私にとって、自分の意見を述べることは「偉そうなこと」でした。後輩なのに先輩にこんなこと言っていいのかな、とか、完璧に仕事ができるわけじゃないのに仕事のやり方に意見していいのかな、とか。鼻持ちならない奴と思われて、評価を下げられるのが怖かった。

関係ないです。「偉そう」でナンボの世界です。声が大きい奴が勝つ。

だから、いざというときにちゃんと声を上げるために、私は悪口ともとれる指摘を厭わず行い、その代わり「ひと」をなるべくフラットに見ようと決めました。「まりちゃん」みたいにはなれないけれど、声を上げる地均しは怠らない。

 

実際のところ、「ひと」の特徴をフラットに捉え、指摘するというやり方は意外なほど好評を博しています。鼻持ちならない奴だと思っている方もいるかもしれませんが、面と向かってそう言ってきたひとは今のところゼロです。

お笑い芸人の突っ込みの方が雛壇でよくやってますもんね。有吉さんとかフットの後藤さんとか。

人間、分析されたい生き物なのかなぁと最近思うようになりました。占いもそうだけど、「あなたってこういうひとですよね」と言うと予想以上に喜ばれることが多い。

私はこういう物言いをしてしまう自分がたまらなく嫌いなんですけど(「野ブタ。をプロデュース」や「何者」の主人公みたいじゃないですか? あいつらすげー性格悪いですよね。ラストは大体痛い目見るしさ。私もあいつらと同じなんだろうなぁと思ってぐさぐさ刺さります)「悪口」ってサービスになり得るんだなと認識を改めています。

忘れちゃいけないのは、私にとってそれが「悪口」ではないということ。ばかにしたり貶めたり批判したりする気持ちが出てきてしまったら、一瞬で野ブタと何者のあのシーンです。

「偉そうにしている」けれど、「偉くはない」のだと自覚し続けなければなりません。そして、「偉そうにする」ことを許してくれる周りの方々に尊敬を。環境に感謝を。

また、本当に悪く言われたと思って傷ついてしまう優しいひとには、十分すぎる配慮を。

そうやって毎日を過ごしています。

 

ということで、今日もおはようございます。

「偉くもないのに偉そうにする」ただのOLは週の最後の金曜日を元気に働いてきます。

 

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今日の起床時間

 5:40

朝ごはん

 みそ汁(具材:白菜えのき人参)

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