長崎の人間はなぜこうも長崎に囚われ続けるのか
福岡に戻ってきました。
お正月は何も考えずにだらだらと家族と同じ時間を過ごしていたので、高速バスで2時間かけて移動し、少しずつ馴らすように日常に戻りつつあります。明日が仕事始めです。
私の地元は何度か記事にも書いた通り、長崎なのですが、ぼんやりテレビを見ているとよく知った声が聞こえてきました。
「この声は……立木文彦さん!?」
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E6%9C%A8%E6%96%87%E5%BD%A6
立木文彦 - Wikipedia
エヴァの碇ゲンドウを始め、多くのアニメ・外画の声を当て、ナレーションでお茶の間をにぎわす、おそらく誰もが声を聞いたことのある声優さんです。
それが、なぜ長崎のローカルなイベントのCMに……!?
wikipediaに記載されている通り、立木さんは長崎のご出身です。もしかしたら、そういうご縁もあってのお仕事なのかな、と推察しています。
五島を舞台にしたアニメ「ばらかもん」でも重要な役を演じられていました。立木さんの五島弁は貴重……!
ばらかもん 1巻 (デジタル版ガンガンコミックスONLINE)
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2017年の年末は同郷出身の方のご活躍を目にする機会が多くありました。
たとえば、今村昌弘さん。
鮎川哲也賞受賞作「屍人荘の殺人」は「このミステリーがすごい2017」で見事第一位に! 話題になっていたので読みましたが、おもしろかったです!(ネタバレできないから感想が語れない……)
今村さんのプロフィールに長崎出身と書かれていたので検索してみると、ご自身のTwitterアカウントが出てきまして、拝見したらTwitterを始めて結構早い段階で長崎の写真を載せられていました。
今は岡山在住とのことですが、同郷出身としてちょっと嬉しかったです。笑
写真といえばこちら。
今、波に乗っているアイドル・欅坂46の人気メンバー、長濱ねるさん! 初の写真集が異例の重版ということで話題になりました。
私? 勿論買いましたよ!(ksDD)いや……しかし……ほんとに買ってよかった……アイドル写真集の中でも傑作といっていいと思います……満足度が半端ないです。可愛くて、瑞々しくて、どこか切ない、唯一無二のデビュー作です。
ねるさんも長崎出身。写真集の撮影は長崎市と、ねるさんが幼い頃育った上五島で行われたそうです。どこか懐かしさの漂う景色をぜひ、ご堪能ください!
最後はこの方!
FUKUYAMA MASAHARU WE'RE BROS. TOUR 2018 開催決定!!!
福山雅治さん!
2017年もカウントダウンの傍ら、紅白歌合戦でお姿を拝見することができました。
紅白では、長崎市にある母校の小学校で、授業をされている映像が流れていました。その他にも稲佐山でのライブや、それに伴うビッグNスタジアム(長崎市にある市民球場。全然ビッグじゃないからホームランが量産されると噂)でのパブリックビューイングを行ったり、被爆クスノキを題材にした曲「クスノキ」を発表したり、多彩な歌手活動の端々から福山さんの強い長崎愛を伺うことができます。
ふと、思うのです。
他の地域の人もこんなに地元のアピールをするものなのかな、と。
福岡も福岡愛の強いタモリさんや博多華丸・大吉さんがいるけれど、福岡の人の福岡愛って外向きだと思うんです。福岡を知らない人に福岡に来てほしい、じゃんじゃん福岡においでよ、というアピール。
長崎のそれは、もっと内向きだと感じます。
立派になって故郷に錦を飾りたい、故郷に恩返しをしたい。それは、身を立てるために一度故郷を出たという「罪悪感」を抱えているがゆえだと思うし、一方で、長崎に育てられたという「誇り」でもあるのだと私は思います。
長崎の人間は大抵身内をちょっと悪く言う癖があると思うのですが、(どこもそうだと思っていたけど、福岡は全然そんなことないんですよね。むしろ良いところしか言わない。福岡が特殊なのか……?)外の人間に悪く言われると途端にキレるという特性があって、排他的で身内意識が強く、口では「そんなに……」と否定しつつ、なぜかみんな故郷が大好きなんですよね。
幼い頃から歴史と平和の教育を散々やらされて、修学旅行でもわざわざ広島の原爆ドームや鹿児島の知覧特攻隊を勉強しにいくほどで、表向きうんざりしてるはずなのに、内心ではそういう故郷を誇りにも思っているのかな、うん、たぶん、きっとそう。
長崎の人間は、心に長崎を持ち続ける。
故郷があるから、頑張れる。
そんなことを考えながら福岡に戻ってきました。
我が家の冷凍庫では、こいつが待っています。
2017年末、大変微力ながらついに地元にふるさと納税しました。返礼品、ありがとうございます。
これからもずっとずっと、地元に住まう人たちが幸せに暮らせますように。
いつも心に長崎を。
20180104Thu.
あけまして、あけました
新年あけましておめでとうございます。
2018年になりました!
今年は平成30年。昭和63年生まれの私は嵐がやっていた年賀状のCMを見ながら、「そうだ! 30年か!」と一人ため息をついておりました。平成元年に1歳なので平成30年には30歳になるわけです。
の、割に。節目の年という気負いが全くなくてですね。ゆるっと、ふわっと、目の前にあること・もの・ひとを大切にしたいなと思って、例年よりゆるいお正月を過ごしているところです。
そんな私の2018年。
今年の目標は「丁寧」です。
今までとんと縁のなかった単語です、丁寧。何をやらせても、どんなことにでも、「雑」だった私。目の大きい網のような日々を送ってきて、取りこぼしたものの多さといったら!
今年は、ちゃんと「生活」したいなと。
ただ生きるだけでなく、暮らすだけでもなく、「生活」する。私にとって「生活」とは、環境からなにからを丁寧に見直して、整えることなんだと思います。文章を書くことに関してもそう。締切に向けてがむしゃらに取り組むのでなく、丁寧に一つずつ、生活に馴染む形で続けていきたい。結局そうやって書くことを「生活」にしていかないと、いつまで経っても前に進まないなと思ったからです。だから、ある意味、私は脱ストイックを目指しているとも言えます。
森博嗣さんのエッセイ「つぶさにミルフィーユ」の中でも「本気を出すのは簡単。本気以外のものを出す方が難しい」と書かれていました。
つぶさにミルフィーユ The cream of the notes 6 (講談社文庫)
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頑張るってとても楽。でも頑張る姿勢だけでは評価されない。結果が出なければ意味がない。結果を出すために弾の数は勿論必要だけど、いつまでも下手な鉄砲では数を打っても当たらない。撃ち方を考えなきゃ。そのために頭があるのですから。
一つひとつ、丁寧に。
物事に、人に、丁寧に接すること。
2018年はそういう生き方を心がけてみようと思います。
20180101Mon.
年末のご挨拶
現在23:37。2018年まであと30分を切りました。私は紅白歌合戦を見ながら、年越し蕎麦を食べております。
今年あった出来事はあまりに濃密すぎて、うまくまとめることができません。得たものもあれば失ったものもあり、出会った人もいれば二度と会えない人もいて、2016年の今頃の自分は何と薄っぺらかったかと思う次第です。
今年の出来事は挙げればいとまがないのですが、今年の一冊を挙げるとしたら、この本になると思います。
今村夏子さん「星の子」
読んだのは最近なのですが、ほんとに何度も読み返しております。大切な一冊になりました。
23:45。蛍の光を歌い終わり、紅白歌合戦が終わりました。ゆく年を想いながらくる年を迎える準備を整えましょう。
それでは、よいお年を。
20171231Sun.
賞味期限切れの、夢を見ている。
子供の頃に見た夢を覚えていますか?
"お花屋さん"
"ケーキ屋さん"
"おもちゃ屋さん"
"野球選手"
ーーふむふむ。なるほど。
じゃあ、なぜそれになりたかったか、覚えていますか?
私は覚えています。ぜんぶ、ぜんぶ、泣きたいくらいはっきりと覚えています。
なぜならその夢は、捨てたくても捨てられなかった、私の一番星だから。
夢には賞味期限があると思うのです。
私の見ている夢はとうに賞味期限の切れた、苦い苦い夢なのかもしれません。
"小説家になりたい"
はっきり夢に描いたのは、小学2年生の頃です。
当時の私は、友達を作るのが得意ではありませんでした。家にも居場所を見つけられず、人知れず孤独感を抱えていました。
それでも、寂しいと口に出せない子供でした。
なぜ読むのか、なぜ書くのかと問われたら、私は一言「寂しいから」と答えるでしょう。
世界中で一番好きな場所は、学校の図書館。本は、ひとりきりの私に寄り添ってくれる存在でした。文字でなら、口にすると誰かを傷つけてしまう寂しさを素直に吐き出すこともできました。
寂しさの捌け口だった文章は次第に変化していきました。私も、自分の言葉で、寂しさを抱える誰かに寄り添いたい。
たった一人でもいい、世界のどこかにいる私の言葉によって救われる人がいてくれたら、どんなに嬉しいかーー。
"小説家になりたい"
私の夢は、そうやって見つけた、一番星だったのです。真っ暗だった私の夜に光が射したような気がしました。
年を重ねるごとに、大事なものが増えて、私の夢は変容していきました。
家族とのわだかまりは溶けだし、優しい友達に恵まれ、正しさの塊のような恋人がいて、安定した会社で働き、大好きな福岡の街で自由を謳歌して。私の世界で大事なものが家を構えて、こうこうと輝いているのです。
明るすぎる夜のなかで、それでも私は一番星を探して、大事なものがせっかく灯してくれた光を、必死に消して回ろうとする。私の星は今、夜空のどの位置にいるのですか?
"小説家になりたい"
夢って、輝かしいものですか?
それは"執着"と、どう違うのですか?
8歳で描いた夢を20年にもわたって、追いかけて、追いかけ続けて、こんなに切実で苦しく苦々しい願いをまだ"夢"と呼んでもいいのでしょうか。ときどきわからなくなります。夢らしき想いを咀嚼すればひどく苦くて、私の夢はとっくに、賞味期限を過ぎているのだと思います。
"ほんとに小説家になりたいの?"
"どうしてなりたいの?"
"もう、ならなくてもいいんじゃない?"
"苦しいだけなのに"
夜が十分明るいなら、星明かりを頼りにする必要はない。目を凝らしてかすかな光を探すこともない。
なのになぜ私は、夜空を見上げてしまうのでしょうか。
過去の呪縛がそうさせているだけ、なのでしょうか。
考えたところで答えは出ません。
ただ一つ、これだけは確かです。
見えにくくはなったかもしれないけど、星は死んでいない、ということ。
文章を書くことはあまりに私の日常に溶け込んでいて、今更特別には思えません。呼吸のようなものです。空気を吸って酸素だけを取り込み二酸化炭素を吐き出すように、思考して解釈し文章化する。書いていないときの私は私以外の「何者か」を演じているようにさえ思えるほど、不自然なのです。
"小説家になりたい"
描いた夢は、もしかすると、北斗星だったのかもしれません。光が弱くても、位置を見失っても、当然同じ北の空にいてくれる存在。
小説を書いている自分の方が自然なら、今更無理やり位置を変える必要もないでしょう。
就活で出版社を受けたときに、こんな台詞で面接を落とされたことがあります。
「君みたいな人は結局、小説家になる以外に生きる場所がないんだ」
あのときはなんという断り文句だと怒り狂い、「そんなん、なれるもんならなるし、だったら私の本を出してくれよ御社よぉ」とふつふつ怒りを滾らせたものですが、今ならその言葉が不思議としっくりくるのです。
「あぁ、そっか。小説家になればいいんだ。それが自然なんだな」
実現可能性がぐんと上がったわけでもないのに、当たり前のことのように、受け止めている自分がいるのです。
夢には賞味期限があります。
純粋に、変わらぬ夢を見続けるのはとても難しい。環境や価値観の変化に伴って夢は変容し、いつの間にか違うものになってしまうのではないでしょうか。
だけど、賞味期限が切れたって消費期限は切れない。夢でも執着でも、名前はなんでもいい。この苦さを「大人の味」と笑い飛ばせる自分でありたい。そう思います。
さて、賞味期限の切れた夢をどうおいしく調理しましょうか。
「チーズ」を「牛乳」と呼ばないように、すっかり味の変わったこれを、今後はもう、夢とは呼びません。
ーーいい名前を思い付きました。
"現実"、と呼びましょう。
20171221Thu.
**********
そんなわけで、ずっと小説を書いております。10月から月に一度は投稿する生活を始めました。途中何度か精神的に追い詰められつつ、何とか現世に踏みとどまっています。
「締切が終われば何が始まるんです?」
\締切/
といった毎日です。
ストイックでも真面目でもありませんが、愛が重すぎて思い込みが激しすぎてすぐ思い詰める性格(人はそれをヤンデレと呼ぶ)ではあるので、やんわりと自分を諌めながら生きていこうと思います。
今月のノルマはなんとか果たしましたが来月重めの締切が重なっているのでどうにかこうにか頑張ります。
おやすみなさいませ。
ぜーんぶ、嘘の話
おはようございます。あやなです。
助けてください。
ネタが尽きました。
……というのは、半分本当で半分嘘です。
随筆の名手で知られる浅田次郎さんのエッセイはほとんど嘘だと、何かで読んだ気がするのですが本当でしょうか。恥ずかしながら浅田次郎さんの本を私はあまり読んだことがなく(「鉄道員」くらいです、確か)真偽のほどはわかりません。
このブログで書いていることは、ほぼほぼ事実ですが、100%事実だけで書いた記事は少ないように思います。大抵の記事はところどころ嘘を織り混ぜて書いていて、大部分嘘で埋め尽くされた記事も実はあります。
そうでなければ記事として成立しないのです。面白くないのです。
ネタが尽きたわけではありません。下書きフォルダにたまった記事は25個。完成させればすぐにアップできるのに、なかなか書き上げることができません。下書きにたまっているということは、大抵長くて話がまとまっていないのです。特に考察系記事は時間がかかります。思い出語り系記事は意外とすんなり書けるのですが。
うーん、困った。でも毎日更新を掲げているだけに、何か書いて更新しなければ。
そこで私が思い至った結論。
いっそ全編嘘の話を書いてみようか。
架空の私による架空の物語、妄想日記を。
と、思ったんですけどあいにく時間切れです。時間が足りないんですよね、ほんとに! 朝活復活したい。眠い。復活したい。眠い。
+1℃が狂わせる
おはようございます。あやなです。
夏生まれだからでしょうか。
生まれも育ちも九州だからでしょうか。
冬が苦手です。
自慢じゃないけど超寒がりです。気温が20度を下回ると一気にパフォーマンスが落ちるポンコツです。ウールのチェスターコートとマフラーがわりの大判ストールを引っ張り出してきました。まだ早いと言われても寒いもんは寒いし、寒いのは我慢できません!
とはいえ、うだうだと文句を連ねても冬は今年もやって来るし、どんなに寒くても会社に行かないといけないし、働かねば食べていけないのが現実です。
お金のためだけに働いていた5年前の冬、寒がりを克服する荒療治を受けて、雪の降り積もる帰り道すら温かく思えたことを思い出します。
5年前の私は、
3℃の冷蔵庫の中で鍋セットを作るバイトをしていました。
「労働厨」とあだ名されるほどバイト狂だった学生時代の私は、新聞社の事務や書店員、論文の添削、居酒屋のホールスタッフといろんなバイトを掛け持ちし、渡り歩いていました。その中でも最も過酷だったといえるのが「お歳暮の短期バイト」でした。
肉体労働らしい肉体労働は初めてでした。その前に働いていた書店で女上司に目をつけられ、いびられて辞めたために、人間関係を築く必要がなく頭も使わない仕事を探していたところ、このバイトを見つけたのでした。
1ヶ月、冷蔵庫の中でお歳暮用鍋セットを作る仕事をしました。朝から晩までラインの一人として凍った鶏肉を詰め続ける日々。あ、勿論休憩はあるし、途中で常温庫での仕事とバトンタッチしたりもします。それでもバイト代が生活費に直結していた貧乏学生は時給の高い冷蔵庫内の仕事を積極的に引き受けました。
人間のからだって本当に不思議です。寒がりで冬の朝はなかなか布団から出られなかった私が、冷蔵庫で働いているうちに、次第に変化していきました。
かじかんで感覚を失った指で、必死で凍りついた鶏肉を箱に詰めていると、ふと温かさを感じる瞬間があるのです。
はっと顔をあげると、なんと。
冷蔵庫の中の温度は4℃になっていました。
新しい具材の搬入で開けっぱなしになっていたドアからすかさず、常温の空気が入ってしまったからです。そのときの私が考えたこと。
4℃ってあったかいんだ!! すんごい!!!
……完全に正気を失ってますね。
3℃も4℃も違わないよ、って思うじゃないですか。違うんです。明らかに、明確に違うんです。人間のからだって、1℃の上昇にここまで敏感になれるんだと思いました。
帰りも外は10℃を切る気温なのに自転車に乗っているだけで汗をかいたり、コートとマフラーを暑く感じたり。
あのまま冷蔵庫で働き続けていたら、私はどうなっていたのでしょうか。からだの隅から隅まで別人になっているのかもしれません。
あの日々のおかげて冬は苦手ながら、寒い日だって毎日自転車で会社に通えているのだと思います。寒さの中でも動ける自分を知ってしまったから。
4℃だって温かく感じられる氷付けの世界。
仕事は過酷だったけれど、あの世界でしか経験できない気付きを得て、貴重な1ヶ月を過ごしたなぁ、と思います。
毎朝寒さに耐えながら自転車通勤を続けられるのは、あの1ヶ月があったおかげです。
たまには荒療治も必要ですね。
とはいえ、もうあの日々には絶対に戻りたくないですね!!
大切なことはぜんぶ、山田詠美に教わった。そのほか、もろもろ好きな本の話
おはようございます。あやなです。
好きな作家と本の話をします!
【11月は毎日更新!!】心から好きだと言いたくて、言えなくて、少しふるえちゃうこの気持ち。 - モーニン!
※今日書いた記事の続きですが、こちら単体で読めます。
1.山田詠美
好きな作家を挙げなさいと言われると、最初に出てくるのが山田詠美さん。一人だけ挙げなさいと言われても、この人を挙げると思います。大好きな作家さんです。
初めて読んだ「山田詠美」は「ぼくは勉強がでにない」だったのですが、ハマるきっかけになったのはこちらの本でした。高校の図書館に新刊で入ったから表紙に惹かれて読んだはず。
最近やっと読んだ「学問」も好きでした。発刊当時、博多バスターミナルの紀伊國屋でサイン会やってたんですよね。なんで行かなかったのかわからない。行けばよかったです。今でも悔やんでます。
言葉選びのセンス、人の描きかた、きわどいことを書いているのにピュアなところが大好き。いつ読んでも文章が生々しく、肉感的で、それでいて瑞々しい。
先生が教えてくれない、人生において必要で大切なことはすべて、「山田詠美」に教わってきた自覚があります。別名耳年増とも言いますが。少し先を歩んでくれた本の数々。肉体的な恋の精神性を説く、姉のような存在でした。
2.伊坂幸太郎
私のなかで、何を読んでも面白いと言えば山田詠美さんとこの方。伊坂幸太郎さんも高校時代にハマった作家さんなので、この時期の読書体験が私にどれだけ影響を与えていることか。
初めて読んだ「伊坂幸太郎」は「魔王」でした。伊坂フリークの友達に「魔王面白かったー!」と言ったら「伊坂幸太郎は刊行順に読んでほしかった!」と力説されました。後からその意味がわかった。前の作品に出てきた登場人物が再登場する系の小説、大好物です。
それはおいといて、「死神の精度」の伏線回収大好きなんですよね。最近読んだ伊坂幸太郎は「アイネクライネナハトムジーク」でした。めっちゃ良かった。伊坂ファンでよかったです。
3.京極夏彦
なんで好きなのか自分でもよくわからないけれど、めっちゃ好きな作家さん。それが京極夏彦さん。個人的に、秋の夜長を一緒に過ごしたい本といえば京極作品です。
正直、最初に読んだのは京極堂シリーズではなく、「巷説百物語」でした。しょうがないね、「後巷説百物語」が直木賞獲った頃だったので。「巷説百物語」、「続巷説百物語」、「後巷説百物語」を図書館で借りてきて一気読みしました。ちょうど今の時期くらいの、肌寒い秋の夜。毛布にくるまって、豆電球をつけて、本読んで徹夜したのなんて初めてでした。京極堂シリーズはどんどん面白くなります。個人的に「絡新婦の理」が一番簡潔にまとまっていて、読みやすかったです。短い(京極作品比)ですしね。
京極作品は文庫本がサイコロみたいに分厚いのに、読み進めていく間に読み終えるのが寂しくなっていくのが本当に意味わからなくてすごいと思います。
4.三浦しをん
この方ほどタイトルに命かけてる系の小説家を知らない。そして、タイトルに惹かれて買って、面白くなかったことがない。いつの間にか作家買いするようになった作家さんです。
最初の「三浦しをん」は「まほろ駅前多田便利軒」でしたね。(こちらも例にたがわず直木賞獲った頃に読んだんだ、許せ)
この本がほんとに好きです。三浦しをんさんの文章は独特なんですよね。硬質なのにリリカルで、理知的でありながら情熱的、冷たいんだか熱いんだかわからない。癖になります。描写も淡々として美しい。
5.柚木麻子
今一番注目している作家さんです。いろいろ読んでみてる最中なのであまり語れません。とても勉強になる!
6.千早茜
今年一、出合ってよかった作家さん。今、私の中で、柚木さんと「二大勉強になる作家さん」と話題に。激情に駆られているのに計算ずくで刺してくる感じ、たまりません。
殿堂入り:太宰治
太宰治が好きなのは、もう理屈じゃないと思うんですよね。太宰治の雑誌で高橋源一郎さんが「太宰治の文章に今一番近い書き方をしているのは、山田詠美」みたいなことを書いていて、私はものすごくしっくりきました。
太宰治や山田詠美のような言語感覚で小説を書けるようになったらもう何もいらないよ、寿命だって5年くらい売っ払っちゃっていいです。
ストーリーテラーがなんの、とか、キャラメイクがどうの、とか言うけれど、小説を書く人間が美文に憧れるのは道理だと思う。
好きな作品は選べないけど、この本は何度も読み返しています。
……ふぅ。
い、いかがでしょうか。以上、愛だけを詰め込んだ記事でした。引用も何も一切してない上に、感想もほぼ書いていないので何も伝わっていないかもしれません。これを読んで、「おもしろそう!」「読んでみよう!」とはならないかもしれません。
ブックレビュー面白い人、すごいと思います。
最近見つけた、この方のレビューがとても好き!
これは原作超え!伊坂幸太郎映画3選 - アヒルと鴨のコインロッカー など - シミルボン
小説もブログの文章も、もっと面白くなりたい。美しくなりたいです。書くしかなくて、読むしかないんでしょうね。でも技術以上に、核になる何かを大切にしたいな、と思うのはきっと悪いことではないはずなのです。
甘いのかもしれないけれど。
核になる何か、って結局「愛」でしかないと思うのです。
こういう、美学の世界に生きている自分を嫌いになれない。だから小説を書いているんでしょうね。