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【第89回】AKB48選抜総選挙の時期になると、かにに言われたあの言葉を思い出すんだ。

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おはようございます。あやなです。

昨日しれっと更新しましたが、実はご無沙汰でした。41日ぶりの投稿だったようです。

この1ヶ月は珍しく仕事が忙しくてですね……普段の平均残業時間2時間/月の私が、今月10倍以上残業してるので推して図るべし、です。あ、でも個人的に文化祭みたいなテンションで働いてるので、元気は元気です。帰即寝の日々です。

 

閑話休題。1ヶ月の間に起きたビッグなニュースといったら?

そう、総選挙です。

今年もAKB48選抜総選挙が開催されましたね!

指原莉乃さん、2位に10万票の差をつけての連覇、おめでとうございます。悪天候による開票イベントの中止が決まる波乱に始まり、渡辺麻友さんの卒業発表、5位にランクインした荻野由佳さんをはじめNGT48メンバーの大躍進、NMB48須藤凜々花さんの突然の婚約発表と、AKBグループの歴史に刻まれる総選挙になったのではないかと思います。

私個人としましては、ついに推しの卒業が決まり、今年は不出馬ということで特に何の活動もせずに迎えた総選挙でしたが、中継を見ながら感心したり感動したり、なんだかんだで例年通りの熱さを感じることができました。特に荻野由佳さんのスピーチにはちょっと泣きそうになりました……。さしまゆの涙もかなりキましたね。

私がAKB48にハマったのは第2回総選挙が行われる少し前でした。新聞社で働いていたときにスポーツ紙に毎日メンバーの所信表明が掲載されていて、宮崎美穂ちゃん(みゃお)*1を見て「なんて可愛いんだ!」と思ったものです。

実に7年前です。今回の総選挙で9回目らしいので、歴史の長さを感じさせられますね。

 

「ねぇ、私がもしアイドルだったら、1位にしてくれる?」

テレビ中継を見ながら、私は「かに」に尋ねました。あれは2013年、指原莉乃さんが初めて1位になった、5回目の総選挙の開票日でした。

AKBに興味のない(というか、芸能人に興味がない)彼のことだから、私が戯れに聞いたところで聞き流すか鼻で笑うかのどちらかだと思っていたのです。

「せんよ」

思いの外はっきりと、「かに」は言い切りました。

普段断定的な物言いを好まない彼だけに、珍しいなと思いました。

「なんで?  私のこと好きじゃないん?  あ、それともあれか、1位になって他のファンがつくのが嫌?  見つからないでいてほしい的な?」

それに対して返ってきたのは、意外な言葉でした。

毎年、総選挙の開票日が近づくたびに「かに」の言葉を思い出します。

悔しい。本当に悔しいのだけれど、私はその言葉を聞いて、思わず泣いてしまったのです。

「かに」みたいな生き方、私は絶対、認めない。
……そうやって肩肘張って10年以上生きてきたのに、なんでこうなっちゃったかなぁ。

 

***

 「今日は皆さんに人生について考えてもらいます」
初めて夏服に袖を通した、中学1年の6月のこと。
国語の先生はちょっと変わった人でした。
宮沢賢治の作品を題材に自分の理想とする生き方を選択しよう、そして人生について語り合おうと彼女は言いました。

テーマは「犠牲と共に生きる」

つい2、3ヶ月前までランドセルを背負っていた中学1年生には少々重すぎるテーマではありませんか! ねぇ先生!

私たちは戸惑いつつ、以下の4つのグループに分かれました。

A.オツベルと象の「オツベル」-自分の利益のために他人を犠牲にする人。

B.なめとこ山の熊の「小次郎」-何かを犠牲にすることに罪悪感を覚えながら生きる人。

C.やまなしの「かに」-できるだけ犠牲を出さず、降ってきたものを食べて生きる人。

D.グスコーブドリの伝記の「ブドリ」-他人のために自分を犠牲にして生きる人。

さて、中学1年生の私はどの生き方を選んだでしょうか?

正解はD「ブドリ」でした!

偽善でしょうか? 確かにそうかも。けれど、理想を掲げなければ「良く」生きられない。優等生のいい子でいたかった私は、本気でみんな「ブドリ」を選ぶと思っていました。

人生について選択し、語る授業はかなり白熱しました。
「オツベル」が「ブドリ」を偽善者だと罵り、「ブドリ」は何と思われても人を助けたいと反論し、「小十郎」は犠牲が出るのはある程度しょうがないけれどそれを当たり前に感じていたくないと持論を述べる。
若い私たちは舌戦を繰り広げました。

……「かに」以外は。

実際のところ、ディスカッションのグループ分けは意外な配分で始まることになりました。Aが5人ほど、Bが10人、Dが7人くらい。

あとは全員、Cを選びました。やまなしの「かに」です。これは当時の私にとって信じがたい結果でした。

けれど、実際のディスカッションでは、多数派の「かに」たちはほとんど口を開きませんでした。

少数派の「オツベル」、「小十郎」、「ブドリ」ばかりがイニシアチブをとって、「かに」はずっと曖昧に笑っていました。あまりに自己主張しないものだから、次第に私は苛立ち、
「ねぇ、『かに』は川底から出たいと思わないの?」
かぷかぷ笑ってる場合じゃないでしょ。クラムボンじゃないんだから。
「いつかわせみが襲ってくるかもわからない、やまなしも本当に落ちてくるかわからないのに」
私なら。
もし私が「かに」なら、かわせみと戦う方法を考える。木に登り、やまなしをちょん切って自分と家族の住む川に落とす。
待っているだけの人生は嫌だ。だって、かわせみが襲ってきても、やまなしが落ちてこなくても「しょうがない」の一言で諦めるしかないじゃない。
そんなの、悔しいじゃない。
悔しくないの、と問いかけた私の声はほとんど叫び声のようだったのではないかと思います。
それでも教室にいる大多数の「かに」たちは顔を見合わせて曖昧に笑うばかり。
「だって……ねぇ?」
無理に戦わなくていいんじゃない。「かに」の女の子の一人がぽつりと呟いたのを覚えています。
それを聞いて、私の胸に込み上げたのは、猛烈な嫌悪感でした。
自分のためなら他人を蹴落とすと豪語する「オツベル」の方がまだマシだった。
罪悪感を傘にきる「小十郎」や自己陶酔の「ブドリ」なんかよりよっぽど、戦わない「かに」の方が偽善者だ。
何も犠牲にしないといい人ぶって本当は負けるのが怖いだけ。
困ったことがあったって諦めて、今日みたいに曖昧に笑って、こわいねこわいねって顔を見合わせるのか。

甘えんな。
中学1年生の私は憤って、泣きそうでした。

 

あの日、私は「かに」にだけはならないと決めたのです。
かわせみとは戦う。やまなしは自分で落とす。
そんな人生を選択しようと心に誓いました。

 

***

私がアイドルを推すのは、彼女たちが常に「かに」になるまいとしているからです。

中でもAKB48の系列グループは特に、セルフプロデュース能力を必要とされるアイドルグループだと思います。ビジュアルや歌・ダンスなどパフォーマンス力の強化、握手会の対応だけに留まらず、他の人にはない特技を身に付け、(それこそ話題の須藤凜々花ちゃんは哲学とか麻雀とか、他のアイドルにはあまりない特技を持ち、哲学書を出版したり麻雀の冠番組を持ったりしました)ブラッシュアップし続けなければなりません。

同時に、ただ自分の好きなことを伸ばすだけではだめで、周りを観察して自分のポジションを確立することが大事です。たとえばダンスがいくら得意だろうと、同じことを得意な自分より可愛いメンバーがいたら埋もれてしまいます。さしずめ、空いたスペースを見つけて上手に走り込むサッカー選手ばりの視野が必要なのだと思います。

アイドル・指原莉乃は、まさしくそれで。

アイドルでありながら「アイドルオタク」であり、始めはアイドルらしからぬ「ヘタレ」というキャラでオタク内の人気を集め(むろん、それだけではないと思います。声が可愛くて意外と歌うまいんだよなぁ~! さっしーの、なんだかんだ言ってパフォメンなとこ、悔しいけど好き)「ブログ」で一般のファンを増やし、「スキャンダル」で世間の脚光を浴びました。

アイドルに「かに」はいません。

みんながみんな、自分のあるべき姿を模索し、もがいています。その姿を見ると、どうしても、応援したくなるのです。

報われなかった自分自身のためなのだと思います。

ディベートの授業から10年。学級委員を務め、生徒会に所属し、優等生だった私は、大学では落ちこぼれでした。周りにはたくさんの優秀な人がいて、私が「ブドリ」である必要を感じませんでした。

留年し、内定もなく、未来の見えない日々。
それでもやっぱり、私は「かに」にはなりたくなくて、もがき、苦しんでいました。だからこそアイドルにハマったのかもしれません。

 

そんな私に、恋人ができました。

常に動いている私と、おとなしい彼。
欲深い私と、欲しがらない彼。
野心の強い私と、そこそこで生きたい彼。

私がアクセルなら、彼はブレーキ。
こんなに正反対なのに恋人同士になったのだからおかしな話です。

こちらの言いたいことを先回りして、適切な応えを返せる洞察力。そのくせ言葉は角がとれていて刺々しくないから、彼自身は動かなくても不思議と人が寄ってくる。
さらに彼のすごいところは、それを当たり前のように受け入れているところなのです。

だから世話を焼いてくれる人に特に感謝したりはしないし、好かれるために努力もしない。
何しろ、付き合って1週間後、初めての誕生日プレゼントにフードプロセッサーを買ってきて「これで僕においしいご飯を作ってください」と言っちゃえる男ですから。
「やればできるのに、どうして頑張らないの!」
何度怒りをぶつけたことでしょう。
感情が溢れて泣いてしまうこともありました。
すぐに怒ったり泣いたりする私を彼は「お前はめんどくさいなぁ」と言って曖昧に笑い、そうして、決まって私を抱き寄せました。

あぁこの人は「かに」だ。
それも特大級の、かにの王様だ。
頭の良さも、自分を大事にしてくれる人も、私の欲しいものはすべて手の内に収めているくせに、絶対に川を出ようとはしない。落ちてくるやまなしのおいしいお酒だけを飲んで贅沢に生きているんだ。
私は、戦わない「かに」にだけは負けたくなかった。
それなのになぜか、彼が「めんどくさいなぁ」と笑うとき、不思議と荒んだ心が慰められた気になったものです。

 

二人でテレビを見ていると、AKBの総選挙が中継されていました。
「ねぇ、私がアイドルだったら推してくれる?」
そんなことを聞いたのも、いつもの戯れのつもりで。
「推すって?」
「総選挙で1位にしてくれるかってこと」
「せんよ」
意外なほど即答。
なんでなんで? 私のこと応援してくれんのん? 私のこと好きじゃないと? あっ、それとも私が1位になって他の男の注目を浴びるのが嫌とか? ねぇ、なんでなんでどしてーー?
あまりにきっぱりした返しに私は逆に興味をそそられ、矢継ぎ早に質問を浴びせかけました。
対して、即座に返ってきた答えは、私を一瞬で黙らせました。

「1位になる必要がないから」

……正直、その発想はなかった。
彼の言葉に絶句した私は、同時に気づいてしまったのです。

私は「ブドリ」になりたかったんじゃない。
「ブドリ」を目指すことで愛されたかっただけなんだって。
優等生であるとか学級委員であるとか。
有名大学に合格するとか、大企業に内定を決めるとか。
アイドルだとか、1位だとかとか。
そういう「称賛されるべき何者か」でなければいけないと思っていました。
際立った才能も個性もなく、だからこそ付加価値が必要でした。選択肢を与えられたとき、迷わず「ブドリ」を選ぶ善人であること。人に差し出せる価値が自分になければ、誰にも必要とされないのだと思っていました。

私が異常なほど「かに」に憤ったのは彼らの生き方が羨ましいからです。「かに」の自分を肯定できる彼らが、心底羨ましかった。私に圧倒的に欠けていたのは、自己肯定感でした。

ぶわりと涙が滲んで、「かにの王様」が慌てふためきます。
何でもないのと笑うけれど、あとからあとから涙は溢れてくるもので。
めんどくさいなぁ、と「かに」は笑い。
めんどくさいね、と私も笑い返しました。

 

そうかぁ、1位になる必要はないのかぁ。
私、戦わなくていいのかなぁ。
かにの王様が教えてくれたこと。
「ブドリ」を選んだ私の愚かさ。「かに」でいる勇気。

 

***

後日談。

あんなに苦労したのに内定はやけにあっさり決まりました。ちょうど、やまなしがとぷんと落ちてくるように。
人生なるようになるっていうけど、逆にいうとなるようにしかならないものなんだと思います。
努力は必ず実るわけではないし、がむしゃらに戦いを挑めばいいってものでもない。

今でもアイドルが大好きだし、自分より他人を選び村の運命を切り拓いた「ブドリ」の生き方には承認欲求抜きにしても鳥肌が立つほど惹かれるけれど、今の私は川底でチャンスを待っている「かに」も勇気があると思うのです。

「かに」みたいな生き方、絶対に認めたくなかったのになぁ……。
こんなはずじゃなかったのに、今の自分は優等生だった昔の自分より、断然いい感じ。
野心家で欲しがりの私は基本的に変わらないのでしょう。
しかし今は、称賛されるために戦おうとは思いません。

 

今日も私はかにの王様の横で、クラムボンみたいにかぷかぷ笑って、水面を見上げています。

やまなしが落ちてくる瞬間を悠長に、しかし、虎視眈々と狙っています。
いつか、かわせみが襲ってきたときのために、自慢のはさみをぴかぴかに磨いておくつもりです。

 

こういう「かに」がいてもいいかな、って、こっそりそう思います。


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*1:当時は痩せてたんだ!! 期待の次期エースだったんだ……