【第88回】モテる女の子は大体猫派の法則
おはようございます。あやなです。
「じゃあさじゃあさ、犬派~? 猫派~?」
学生時代、居酒屋でアルバイトをしていた時期があります。サラリーマンの憩いの場・立ち飲み居酒屋であるにもかかわらず、うちのお店には定期的に年若い合コン客が訪れました。
合コンの質問の定番と言えば、「SかMか」ですが、次によく出てくる質問は「犬派か猫派か」というものです。
犬派と猫派、どちらが多いと思いますか?
「え~、猫かな~」
ほら、待受も猫! そうやって携帯電話を開いて(当時、パカパカ式のガラケー全盛期ですから!)連絡先の交換にまでこぎつける手練れ女子もちらほらいました。
モテる女の子って、大体猫派!
「あやなって、犬派? 猫派?」
翻って、私。私にとって、世界で一番聞かれて困る質問はこれです。
どっちだと思う? と、無理やり聞き返すと大体「犬」と言われるので、イメージ戦略的に「犬派」と答えることが多くなりました。
犬は人懐こく甘えん坊で、猫は気まぐれな自由人、みたいなイメージがあります。人間の犬派・猫派においても、何となくそのイメージは共通しているような気がしています。
正直な話をしましょう!
私は犬派でも猫派でもありません。
牛でも馬でも鳥でも、動物自体、得意ではありません。たとえばキャラクター化・アイコン化された動物であれば、見て愛でるだけなら可愛いと思えるのですが、動いている動物を見てどう可愛がればいいのかがわからないのだと思います。
冷たい人間だと思われそうで、あまり口にしたことはありません。便宜的にどちらかを名乗ることでコミュニケーションが円滑に進むなら、犬派でも猫派でもどちらでもよかったのです。
私の地元には野良犬や野良猫がたくさんいました。
片道45分かけて学校に通う小学生だった頃、鈍くさい上に臆病だった私は何度も野良犬に追いかけられたものです。大きな声で吠えられるのも苦手で、噛みつかれるのも怖くて、必死で走って逃げました。
猫は猫で苦手です。庭に紛れ込んだ野良猫に威嚇されて以来、どんな動物にも嫌われるたちなのだと思ってきました。
犬派か猫派か?
強いて言うなら人間派。
だって私は、意志疎通を図れない生き物とは分かりあえないから。そう思って生きてきました。
今日、お芝居を観てきました。
henhouse#06 いぬとねことにんげんのポルカ
分かりあえないのは犬や、猫や、牛や馬や鳥に限った話ではないのでは?
誰も悪くないのにすれ違うことって、珍しくもなんともないのでは?
たとえば両親が喧嘩したとき。
お父さんの味方になるの、それともお母さんなの。
たとえば大切な友人二人が喧嘩をしたとき。
Aちゃん側につくの、それともBちゃんなの。
私はそういう選択の場面に立たされたとき、どちらにも味方できなかったし、どちらも悪くないのに拗れてしまうことがあるのだと思い知らされました。
そのとき感じたのは強い孤独感でした。
犬派にも猫派にもなれない私。
どちらか片方を選ぶということは、もう一つを切り捨てるということで、切り捨てられないなら一人でいた方がいいと思い込んでいました。
孤独感を抱えてもいいから、行き場を失って窒息してもいいから、誰も悪者にしたくなかったのです。
かつて、苦しめられていた世界が、舞台の上に再現されている気がしました。
その上で、「分かりあえなさ」を愛せよと言われている気がしました。
お芝居を見ながら涙が止まらなかったのは、そういうこと、なのかなぁ。
「犬派? 猫派?」
今日からは胸を張ってこう答えられそうです。
「犬猫超党派です!」
と。
何かを選びたくないからってすべてを嫌う必要はない。それなら素直に全部好きでいいじゃない。
犬も猫も人間も、分かりあえなさを愛する自分でいられたら、孤独でいたかったかつての自分を「許せる」日が来るのかもしれません。
心が柔らかくなる90分でした。
ほら、なんていうか、コーラみたいな感じです。
キャンプで肉を煮込むとき、同じお鍋にコーラを入れるんですよ。そしたらすごくお肉が柔らかくなって、味に深みが出るんです。
ああいう感じ。
たくさんの人に出会い、たくさんのことを感じ、近年稀にみるほど怒ったり泣いたりした28歳の締め括りに、これ以上ない素敵な観劇体験ができました。本当に大好きです!
4回の公演のうち3回が終了。
明日7/23(日) 14:00の回を残すばかりになったようです。
一人でも多くの人に観に行っていただきたい……でも私が席を埋めてしまいたい……そんな葛藤の中にいます。
私が席を埋めないうちに、ぜひ、ご予約くださいませ……(>_<)
http://henhouse.atumari.net/
hen house